SMAP 300万枚『世界に一つだけの花』が歩んだ道
SMAPの肖像(6)

ジャニーズグループの曲を制作する司令塔は、音楽出版社「ジャニーズ出版」である。ここのスタッフワークは、日本でも屈指といえるだろう。1980年代から、ジャニーズ出版若手社員の感性は鋭く、新人のシンガーソングライター、ロックバンド、最近ではEDM(エレクトロニック・ダンス・ミュージック)、ボカロ、動画投稿サイトなどの作曲家にも目配りを怠らない。
だから、時々の旬の作家への曲の発注が可能だ。ネームバリューよりも「好きな」作家を起用する柔軟さも素晴らしかった。スガシカオ、山崎まさよし、椎名林檎などを起用するタイミングも絶妙だった。その中に叙情バラードの天才、槇原敬之もいた。
02年当時、SMAPのコンサートで、メンバーがこれまでのレパートリーで個人的なお気に入り曲をソロで歌うというコーナーがあった。そこで木村拓哉が取り上げたのが、アルバム『SMAP 015/Drink!Smap!』(02年7月)に収録されていた槇原敬之・詞曲の『世界に一つだけの花』だった。この曲は、もともとSMAPのアルバム向けに槇原が提供した曲だったのだ。
ピュアなクリエイティビティーの神が降臨
その曲が、草彅剛主演のドラマ『僕の生きる道』(03年、フジテレビ)の主題歌になることが決まった。筆者がデモテープを聴いて、「これは売れる!」とひらめいたのは、この仕事を始めてから3度しかない。最初はH jungle with tの『WOW WAR TONIGHT』、2度目は玉置浩二の『田園』、3度目が『世界に一つだけの花』だった。すぐに、各所へ取材に赴いた。
槇原は99年12月に薬物所持の罪で懲役1年6カ月・執行猶予3年の有罪判決を受けている。すなわち槇原作の楽曲は、業界ではそれまでの慣行として3年間、02年12月まではアンタッチャブルな存在の曲だった。ゆえに03年1月から放映のドラマなら、オンエアも許されると考えて、テレビ局は主題歌に決めたのだろう。
だが、木村がコンサートで熱心に歌っていたのは、執行猶予の時からである。それは、アーティストが罪を償うとは、「いい楽曲を作る」という営みでしかあがなえない、という気持ちが無意識のうちに木村の胸中にあったからだ、と筆者は感じていた。
最高に素晴らしい曲を、なぜ(作者が執行猶予中だからといって)歌ってはいけないのか。作品(楽曲)に罪はないのではないか。
一方、曲を発注したジャニーズ出版のスタッフにも頭が下がる。しかも、槇原が最初に持ってきた曲をボツにして、急きょ書き直してもらったのが『世界に一つだけの花』だったのだ。結果は、アルバム発売まで時間のないなか、邪念のない"ピュアなクリエイティビティーの神"が槇原に降臨した、としか言えないような素晴らしい楽曲ができあがった。
当時、槇原にも取材をしたが、インタビューを受けるのは久しぶりということもあってか、とてもうれしそうだった。半年後、ライブの打ち上げで「大ヒットして、(取材が殺到して)大変でしょう?」とたずねた時、「いえ、取材はあの時以来、1本もありません」との回答を受けて、なんとも悲しい思いをした。メデイアの自粛ムードはこの頃から始まっていたのだ。
ファンの後押しで300万枚を突破
今だから言えることかもしれないが、『世界に一つだけの花』は業界の裏事情の長旅をくぐり抜けてきた、訳ありの楽曲でもあった。だからこそ、そこに込められたピュアな気持ちが世の人たちに届いたとき、心を揺さぶられる感動が生まれたのではないかとも思う。そして、この名曲の存在を、世の中に広く知らしめてくれたのがSMAPだった。
ジャニーズグループの名曲群の悲哀は、幼児からお年寄りまでの誰もが、そらで口ずさめるような大衆的ヒット曲がないことだった。グループ名は残っても、楽曲名が独り歩きすることは極めて稀(まれ)。それはアイドルグループに共通する課題でもある。
だが、ことSMAPに関しては、奇跡が起こった。槇原敬之の渾身(こんしん)の1作が、アルバム収録曲のひとつから、今や日本人の誰もが口ずさめる国民的ソングとなった。
『世界に一つだけの花』はこの12月、ファンの後押しを受けて、ついに300万枚を突破した(オリコン調べ)。SMAPの名と共に、この先も永遠に歌い継がれていくに違いない。
作詞家として活動後、1980年代半ばにエンタテインメント・ジャーナリストに転身。近著に『誰がJ-POPを救えるか?』(朝日新聞出版)。
ワークスタイルや暮らし・家計管理に役立つノウハウなどをまとめています。
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