木村拓哉 一定の枠を拒む、「もがき」のような熱量
SMAPの肖像(2)

SMAPはデビューしたが、なかなか飛躍することができなかった。本格的にブレークしたのは、やはり木村拓哉がドラマで俳優として脚光を浴び、全国区人気になってからだった。
実は、その瞬間に立ち会っている。
当時、週刊誌で芸能欄を担当していたとき、1ページのイラストものを依頼してレギュラー連載してくれたのが、知り合いであったマンガ家カトリーヌあやこ(以下、カトさん)だった。毎週月曜に企画会議があり、人物インタビュー候補の選定で、『素顔のままで』(92年、フジテレビ)の脚本家、北川悦吏子さんを取材したいけど、連絡先は秘密だし、取材を受けないらしいし、どうにかならないかなあ、と悩んでいた時があった。
そのとき横にいた、カトさんが、なにげに言ったのだった。「北川さんなら友達だから、連絡してあげますよ」。こうして人気脚本家との夢のような取材が可能となった。そのとき北川さんは次回ドラマの企画中だった。
北川「誰か、若手で(まだそんなにメジャーでなくて)いいコ、いない?」
カト「SMAPの木村クンが、いいっすよ」
私はまさか、今、耳で聴いていたやりとりが、そのまま実現するとは考えてもいなかった。だが、北川さんは、当時からカトさんの直観を信じているらしかった。
ドラマで成功しても、同じ場所にとどまらず
こうして『あすなろ白書』(93年、フジテレビ)の取手治役は木村拓哉に決定した。このドラマのプロデューサーが、現フジテレビ社長の亀山千広だ。主演は石田ひかり、筒井道隆で、木村は3番手の役どころだった。
主人公・なるみを慕いながらも、陰ながら見守り、青年海外協力隊でケニアへ旅立つ取手クンこと、木村拓哉に世間は熱狂した。藤井フミヤ『TRUE LOVE』をBGMに、トレンディードラマ黄金時代に、木村拓哉は時代の波にのったのだった。『あすなろ白書』の平均視聴率は27.0%。21歳の冬のことだ。
ここから役者として、客観的に見て、順風満帆なドラマ人生を送る。『ロングバケーション』(96年、フジテレビ、平均視聴率29.6%)、『ラブジェネレーション』(97年、フジテレビ、同30.8%)、『ビューティフルライフ』(00年、TBS、同32.3%)、『HERO』(01年、フジテレビ、同34.3%)(数字はビデオリサーチ、関東地区調べ)。軒並み30%という高視聴率を取れる男、ドラマの木村拓哉を日本中に印象づけた。
ただ、本人としては、「自分のことを、もっとわかってほしい」というアーティスティックな欲求が強かったようだ。それは『カミングOUT!』(94年、TBS)や『イトイ式』(95年、TBS)といった深夜のバラエティー番組で垣間見えた。
後者は、糸井重里がMCを務め、大喜利のようなことをやる不思議な番組だったが、木村拓哉の立ち位置もユニークだった。木村の豊富な知識、ウンチク、主張がマジすぎて、番組が空回りするよう……でもあったのだ。
すでにトレンディードラマの若き王子様となっていたスター歌手が、懸命に笑いを取りに行く姿勢に、これまでのアイドル像とは異質の何かを、視聴者たちは敏感に感じ取ったに違いない。一定の枠に入りたくないという、「もがき」のような熱量、といえばいいだろうか。それは今日に至るまで、彼の姿勢に一貫して表れているように感じられる。
男性もほれる男性アイドル
映画も『武士の一分』(06年、松竹)で新境地を開いた。藤沢周平原作で、決して派手ではない内容の時代劇だったが、興収41億円というスマッシュヒットとなった。
2000年に工藤静香と電撃結婚。だが一切私生活を見せないスタイルは、永遠のアイドル像の、ひとつの定型となり、後続に範を示すこととなった。
木村の秀でているところは、「男性ファンもほれてしまう男性アイドル」というところだろう。筆者の知る限り、戦後の日本のエンターテインメント史において、その稀有(けう)な存在は3人しかいない。加山雄三、沢田研二、そして木村拓哉だ。それぞれドラマチックな人生を歩んでいるが、木村拓哉は最年少。
この先の芸能生活も、これまでと同じく減速せずに、疾走し続けてもらいたいものだ。
作詞家として活動後、1980年代半ばにエンタテインメント・ジャーナリストに転身。近著に『誰がJ-POPを救えるか?』(朝日新聞出版)
12月21日(水) 中居正広
12月22日(木) 木村拓哉
12月23日(金) 稲垣吾郎
12月24日(土) 草彅剛
12月25日(日) 香取慎吾
12月26日(月) SMAP
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