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走り抜いた刻苦の道 マラソン・野口みずき

引退模様(1)

 最前線を駆けるアスリートたちに等しく訪れる引退の時。現役として過ごした時間に充足や悔恨を覚えつつ、今年もその来歴に句点を打った者たちがいる。次なる道を走り出す彼・彼女の、それぞれの引退模様。

3月の名古屋ウィメンズマラソンは序盤で先頭集団から遅れ、2度目の五輪となるリオデジャネイロは早々と遠のいた。それでも野口みずきへの声援がやむことはなかった。

全盛期は「頑張れ」だった声は「ありがとう」に変わっていた。沿道に加えて、すれ違う市民ランナーたちからも感謝の声。色とりどりのウエアが目もあやな花々に見え、ラストランは「花道のようだった」。

2004年アテネ五輪。気温30度を超すレースは、世界記録保持者のラドクリフ(英国)やシモン(ルーマニア)を途中棄権させる険しいものだった。

心臓破りの坂の途中、野口は25キロで先頭集団から飛び出した。多い月には1350キロを走破するなど「世界一のトレーニングをした」ことへの圧倒的な自信が、早いスパートを支えていた。当日は風邪をひいていたが、コンディション不良などものともせず、涼しい顔でテープを切った。

身長150センチの体に似合わぬ力強いストライド走法。指導者として野口を支えた広瀬永和(岩谷産業監督)によると「筋力のない女子ではもたない」はずの走法だが、尋常でない猛練習が「サラブレッドのような」(広瀬)頑強な脚をつくり、通説を覆した。

昔から陸上トラックが苦手だった。「同じ場所をぐるぐる走るのが嫌いで。1万メートルなら25周。数字を見るのも嫌だった」。マラソンの方がよほど長くてしんどいが「ロードなら景色も変わる」。実業団入りから2年後の犬山ハーフマラソンで優勝して適性に気づき、視界が開けた。

やはり若い時分、所属先ともめた監督らに従って退社し、失業保険で暮らした時期がある。団地で自炊しながら「お給料をもらって好きなことをやれた。恵まれていた」と痛感した。

苦労を知る野口は「(今の選手は)恵まれすぎている」と思い、昨今の日本の低迷に首をひねる。国際大会の目標に「入賞」を掲げる後輩たちに「競争の世界。1番でないとだめ」と言いたくなる。練習で設定ペースより速く走る同僚に不平を言う選手も多いといい、「何を目指しているんだろうと思う」。

一方で、責任の一端も感じる。08年北京五輪を肉離れで欠場して「長い距離をやりすぎるとけがをする、という印象を与えたかも」。バルセロナ銀とアトランタ銅の有森裕子、シドニー金の高橋尚子、そしてアテネ金の野口がつないだメダルリレーを「私が(自分で)止めてしまった気が……」。刻苦の道を走り終えてなお自分を責める金メダリストの姿は、現役ランナーの目にどう映るのか。

今年7月に結婚し、現在は夫の転勤先である中国に住む。指導者になるつもりはなく、今後は外から「後輩たちに何かを伝えていきたい」。お家芸復活への歩みを、今は異国で静かに見守っている。=敬称略

(合六謙二)

 のぐち・みずき 1978年7月3日、三重県生まれ。97年、三重・宇治山田商高から実業団入りし、ワコール、グローバリー、シスメックスに所属。ハーフの大会に強く「ハーフの女王」と呼ばれた。初のフルマラソンの2002年名古屋国際、03年大阪国際で優勝。同年の世界選手権(パリ)銀メダル、04年アテネ五輪金。05年ベルリン・マラソンを現在も日本記録として残る2時間19分12秒(世界歴代5位)で優勝。最後のレースとなった今年3月の名古屋ウィメンズは23位。

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