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ボクサーやプロモーターが語る「長谷川穂積」

世界ボクシング評議会(WBC)バンタム級王座を10度防衛するなど、一時代を築いた長谷川穂積(35)が現役引退を表明した。強い相手から逃げずに戦った姿勢や5連続KO防衛に象徴される魅力的なファイトスタイルなど、業界関係者からも支持されてきた。ボクサー仲間やプロモーターが語る長谷川穂積とは――。

山中「限界超える練習をしていた」

引退記者会見を終え、3本のチャンピオンベルトと写真に納まる長谷川=共同

「最後に一緒に勝ててよかったです」。こう語るのは現WBCバンタム級王者の山中慎介(34、帝拳)だ。長谷川が日本選手4人目の3階級制覇を達成した9月16日、エディオンアリーナ大阪のリングで、メーンイベントを務めた山中もダウン応酬の激戦を制して11度目の防衛に成功した。

試合前には沖縄で一緒にキャンプも張った。山中の印象に強く残っているのは、限界ギリギリまで自らを追い込んでいた長谷川の姿だ。「長谷川さんは(最近は)ケガが多かったけれど、その理由がわかった気がした。本当に限界を超える練習をしていた」

山中が持つWBCバンタム級のベルトは、かつて長谷川が持っていた。その2代前の王者は1990年代のスーパースター辰吉丈一郎だ。辰吉からベルトを奪い、実に14度も防衛したのがタイの名王者ウィラポン。長谷川はウィラポンの長期政権を攻略、日本の世界王者として史上2人目の2桁防衛回数となる10連続防衛を果たした。日本のファンにも思い入れの深いベルトを、山中自身もその自覚を持って守り抜いてきたという。「偉大なチャンピオンたちが巻いてきたベルト。まさに長谷川さんのおかげで自分は油断することなく、強くなってこられた」と感謝する。

「1週間ほど前に電話をもらって聞いた。やっぱり寂しい」と語るのは元WBCフェザー級、スーパーフェザー級王者の粟生隆寛(32、帝拳)だ。長谷川が公私両面で最もかわいがってきた弟分といってもいい。長谷川がウィラポンに勝って世界王者になった2005年4月16日の日本武道館で、期待のホープでデビュー7戦だった粟生は長谷川の前座を務めた。10年11月26日には名古屋の日本ガイシホールで2人そろって2階級制覇を達成した。

粟生「行くところは行く勝負勘すごい」

ともにサウスポーで天性のカウンターセンスを持つタイプ。だが、長期政権でKOの山を築いた長谷川と違い、粟生は2階級こそ制したものの、ファンをひき付けるボクシングを完成させるまでには至らなかった。スーパーフェザー級のベルトも4度目の防衛戦で失った。粟生の目には長谷川のボクシングは届かない理想のように映っていたようだ。

「行くところは行くという勝負勘がすごかった。1発で仕留める山中さんとは違うタイプだけれど、お客さんの心をつかむという意味では一緒。リスクがある局面で、なかなかあんなふうには打っていけない。どうしても守りに入ってしまう部分がある。自分には長谷川さんの勇気がなかったです」。多くのボクサーが共感するのではないか。山中も「ここぞという場面での打ち合いは、長谷川さんにしかできない。相手も引きずり込まれてしまうんでしょうね」と同じ感想を漏らしている。

長谷川が行った世界戦は日本歴代1位タイの16試合。この全試合を帝拳ジムの本田明彦会長がプロモートしてきた。マイク・タイソンや辰吉をはじめ、国内外の多くの選手を手がけてきた世界的プロモーターは「ずっと行ったり来たりで悩んでいたけれど、(チャンピオンのまま辞めるという)最高の決断をしたんじゃないか。丈夫な体と強靱(きょうじん)な精神力を持っていた」とねぎらう。

本田氏「長谷川ならウィラポンに勝てる」

2005年4月、ウィラポンを破ってWBCバンタム級王座を獲得した=共同

本田会長は11年前に長谷川にウィラポンへの挑戦のチャンスを与えた。ウィラポンには同じくプロモートした辰吉が2試合続けて失神KO負け。さらには帝拳ジム所属の西岡利晃(後のWBCスーパーバンタム級王者)も4度挑戦したが、2敗2引き分けでベルトを奪えなかった。ウィラポンはある意味で本田会長にとっても宿敵だった。「これ以上は負けられない。長谷川なら勝てると思ってぶつけた」

ウィラポン戦はテレビ中継の関係から午後の昼間に行われた。いまと違い、K1などの新興格闘技に押されてボクシング人気は低迷していた時期だ。だからこそ、日本でも知名度抜群だったウィラポンに勝った長谷川は「救世主」となった。長谷川の初防衛戦をメーンイベントに据え、本田会長は「ワールドプレミアムボクシング」と銘打った興行シリーズをスタート。以後、各局でゴールデンタイムにボクシング世界戦が戻り、定着するようになった。後に山中や粟生が世界戦のチャンスをつかめたのも、長谷川が防衛を続けてテレビの中継が続いたことが大きい。

本田会長のプロモートで、10年4月には世界ボクシング機構(WBO)バンタム級王者だったフェルナンド・モンティエル(メキシコ)との事実上の統一戦が実現した。残念ながら4回TKOで王座から陥落。「あの試合に勝っていれば、米国にも行っていただろう」と本田会長も惜しむ。それでも、その年の年間最高試合にも選ばれたように、モンティエル戦が実現したことはボクシングファンを大いに熱くさせた。

すべての道は長谷川から始まった

最近では、多くのボクサーが統一戦や米国進出の目標を口にするようになり、実際にラスベガスで防衛を果たした西岡を筆頭に米国で名を知られる日本人ボクサーはかなり増えた。すべての道は長谷川から始まった、といっても過言ではないだろう。

(山口大介)

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