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マイナーイメージ払拭は? ダート競馬どこへ行く

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2016/12/3 6:30
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中京競馬場で4日、国内のダート路線の王者を決める第17回チャンピオンズカップ(G1、1800メートル)が行われる。回数は17回目だが、2013年までの名称は「ジャパンカップダート」。舞台も07年までが東京2100メートルで、翌08年から阪神の1800メートルに移って6回行われ、14年から現在の形になった。G1競走の施行条件が短期間にこれほど移り変わる例は極めて珍しく、背景には国内で行われるダート(砂)競走の位置づけの難しさがある。中央競馬で初めてダートのG1競走が行われたのは1997年のフェブラリーステークス(東京1600メートル)で、今年は20年目の節目に当たる。それなりに強い馬は出たが、世界とのつながりが増したとは言い難い面もある。国内の注目度では芝に比べてマイナーなイメージがつきまとうダート路線。今後、変化の可能性はあるだろうか。

招待レースの看板下ろす

今回のチャンピオンズカップ本命のアウォーディー=共同

今回のチャンピオンズカップ本命のアウォーディー=共同

ジャパンカップダートがチャンピオンズカップに改称したのは、あまりにも外国馬が集まらなかったためだ。00年に芝のジャパンカップと同様、国際招待競走としてスタートし、01年は5頭、02年は4頭の外国馬が参戦した。03年には米国のフリートストリートダンサーが優勝を飾った。だが、当初から不思議な現象が見られた。ダート競馬の本場といえる米国で実績をあげた馬が不振で、むしろ格下の馬が活躍したのだ。第1回で3着のロードスターリング、第4回優勝のフリートストリートダンサーはともに重賞勝ち星がなく、前者はG3の2着が最高。後者は西海岸のG1、パシフィッククラシックステークス(デルマー、約2000メートル)の3着が目立つ程度だが、これも4頭立てで勝ったキャンディライドからは10馬身以上離されていたため、11番人気とほぼノーマークだった。一方で、G2勝ちのあった00年のユーカー、01年にG1を2勝したリドパレスはいずれも8着に沈んだ。一連の結果から、「日本の砂馬場と米国のダートは違う」という認識が広がり、徐々に米国馬の参戦が減り始めた。それでも07年までは間欠的に参戦があったが、決定的だったのは08年の阪神移設。G1を別な週に組んで、売り上げ向上を図ったのだが、左回りの東京から右回りの阪神への移行は、普段は左回りを走る米国馬に「来るな」と告げたのも同然だった。

実際、08年は米国馬3頭が来日(1頭は出走取消)したが、その後の7回で遠征馬はたった3頭で、うち1頭は香港のガンピット。08年以降の遠征馬はすべて2桁着順の惨敗を喫した。こうした流れを受け、日本中央競馬会(JRA)は、チャンピオンズカップへの改称と同時に、国際招待の看板を下ろし、レーティング(馬の能力を数値化した指標)115ポンド以上の馬に限り、輸送費と滞在費を負担する方針に切り替えた。国内の他のG1と同じ扱いである。中京は左回りで、米国馬には阪神より来やすい条件だが、変化の兆しは見えない。

地方との交流拡大契機に路線整備

中央競馬の10競馬場のうち、もともと砂馬場だったのは札幌と中京。残る8場は60年の東京を皮切りに、芝の内側にダートが設置され、86年の小倉で全場の整備が完了した。ダートを設置した目的は芝コースの保護で、以前の芝は冬に枯れる野芝だけを使用していたため、冬場は1日の全競走がダートという日も少なくなかった。芝の内側で来場者から離れていて見づらいこともあって、お世辞にも人気があったとはいえず、JRAもダート戦を興行的に盛り上げる意識は乏しかった。

状況が変わったのは90年代半ば。中央と地方競馬の人馬の交流が急速に拡大するとともに、ほとんどの競走をダートで施行している地方と、中央のダート適性馬が競う舞台が設定され、新たなカテゴリーが確立した。96年には地方側の主要重賞の多くが中央所属馬に開放され、97年にはフェブラリーステークスがG2からG1に昇格。97年からは中央、地方一括の重賞の格付けも始まり、年間を通じたダート路線の整備が進んだ。折しも、96年にアラブ首長国連邦(UAE)ドバイで、世界最高賞金レースのドバイ・ワールドカップが新設され、当初から米欧の強豪が集結。ダート路線の活躍馬の最終目標として意識され始め、ファンの関心も徐々に高まった。

ただ、米国馬が日本の砂に苦しんだのと同じ現象が、ドバイでも起きた。09年までの舞台だったナド・アルシバ競馬場の走路は米国に近く、日本のダート路線の活躍馬はほとんど勝負に参加できなかった。ナド・アルシバで日本馬として唯一、2着に入ったトゥザヴィクトリー(01年)は、芝のG1勝ち馬。砂馬場はタイムを要する一方、ナド・アルシバの米国型走路は2000メートル2分0秒台の決着が標準でタイムが速い。主力を占める米国馬は前半からハイペースで飛ばして最後までバテないタイプが多く、多くの日本馬はまともに追走できなかった。トゥザヴィクトリーは芝のスピードを生かして、直線半ばまで先頭を守った末の2着。勝つために要求されているのは芝でも勝負できるスピードだった。

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