五輪で記憶に残るプログラムを 振付師として新たな志
フィギュアスケーターの鈴木明子さんに聞く

フィギュアスケートは今季も10代女子選手の活躍が続いている。バンクーバー、ソチの両五輪に出場した鈴木明子氏(31)は2013~14年シーズンを最後に競技生活を退き、現在はプロスケーターとして活躍。講演会や文化活動などでも全国各地を飛び回っている。20代半ば以降にアスリートとしてピークを迎えた彼女が、後輩スケーターたちに贈る言葉とは――。
――競技の第一線を退いた後も、多方面で活躍していますね。
「週末はアイスショーに出演することが多く、今も平日の午前中は名古屋で練習です。午後から講演やテレビの仕事などで全国各地に行きます。講演は週に3、4回も機会を頂いて、移動ばかりしている印象ですね」
――講演では、どんなことを話すのですか。
「自分の経験で悩んだり壁にぶつかったりしてきたことを話します。年齢であきらめる必要はなく、その壁を作るのは自分自身だということや、人と比べて(成長が)速ければ優れているのではなく、人それぞれのペースがあること。対象は企業の人や学生、その親御さんなど様々ですが、そんなことを伝えたいと思っています」
――フィギュアの世界は10代選手の台頭がめざましい。現役の最後に全日本のタイトルを初めて獲得した遅咲きのスケーターとして彼女たちに、どんなアドバイスができますか。

「私は長く続けられたことによって選手としての充実感や喜びを感じることができました。苦しい時期もあったけど、引退するときに本当に良かったと思えた競技生活でした。若い選手たちも今が良ければいいのではなく、ずっと素敵なスケートを続けられるようになってほしい。そのためにも体調管理をしっかりしてケガや病気には気をつけてください」
「スケートで人生が終わるわけではなくて、その先の方がはるかに長い。セカンドキャリアでも新たな可能性が開けるように、視野を広く持つことが必要です。私は10代のころ病気(摂食障害)でスケートができない時期があり、そこで当たり前にスケートができることは幸せなことなんだと気付きました。周囲への感謝というか、自分が1人でやっているわけではないと分かった。それを知るのと知らないのとで、人生はすごく違っていたと思います」
――ベテランでは浅田真央選手(26)が頑張っています。今季は苦戦しているようですが。
「彼女は若いうちから国民的にずっと注目され続けて、私には分からない苦しさもあるのだと思う。ただ、フィギュアスケートは人生の苦しみや喜びを知って、その先に違う次元の演技が見えてくる。挫折や弱さを知って、それが演技にプラスされて訴えかけるものが出てくる。ジャンプ1本で勝負するわけではない。いろいろな戦い方があるから面白い。再来年の平昌五輪を目指して、まだこれからです」
――昨シーズンから本郷理華選手(20)のショートプログラムなどの振り付けも担当しています。
「本郷選手のほか、ジュニアの選手たち10人くらいに振り付けをしています。将来、表舞台で滑ることはなくなっても、振付師としては長くスケートと関わっていける。コーチになろうとは思わなかったけど、振り付けは選手時代からやりたいと思っていました。自分の振り付けを選手が五輪で披露するようになったらうれしい。メダルの有無ではなく、人々の記憶に残るプログラムを作るというのが目標です」
――選手として出場した五輪で、環境に配慮していると感じた点はありますか。
「ソチ大会の選手村には、自然環境を守るために道を整備しない場所がありました。道がないので、食事のためにダイニングに行くのに、その場所を迂回して15分ぐらい歩く必要がありました。でも、乗り捨て可能な自転車が置いてあり、それでダイニングに行くことができました」
「スケートと環境の関係でいえば、日本は最近、ゴミ焼却場から出る熱を再利用するスケートリンクが少しずつ増えていますね。リンクに氷を張るには大変なエネルギーと費用が必要です。日本はリンクが減っていたのですが、ゴミ焼却場の熱を利用するリンクができるようになって、また増えてきています」
(聞き手は編集委員 北川和徳)
日経からのお知らせ 日本経済新聞社と産業環境管理協会が主催する「エコプロ2016~環境とエネルギーの未来展」(12月8~10日)の中で、鈴木明子氏と環境カウンセラーの崎田裕子氏によるパネルセッション「東京オリンピック・パラリンピックを契機にした環境・持続可能性の進化に向けて」を10日午後1時に開きます。会場は東京・有明の東京ビッグサイト・東ホール。