大谷は本当に史上最速? 奥が深いスピードの話
ノンフィクション作家 小野俊哉

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2016/11/27 6:30
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日本ハムの大谷翔平は今季、投手として日本球界のスピード記録をたびたび更新した。ハイライトはクライマックスシリーズ最終戦となった10月16日のソフトバンク戦。九回、指名打者を解除してクローザーとして登板するとプロ野球史上最速の165キロを3度も記録して札幌ドームを沸かせ、日本シリーズ進出を決めた。

CSファイナルステージ第5戦で、プロ野球最速の165キロの球を投じる大谷=共同

CSファイナルステージ第5戦で、プロ野球最速の165キロの球を投じる大谷=共同

スピード記録が脚光を浴びると、必ず出てくるのが「史上最速の投手は誰か」という議論だ。オールドファンたちは伝説の大投手たちを挙げては「沢村栄治は160キロ以上出ていた」「尾崎行雄や山口高志も負けてはいなかった」と速球王談議に花を咲かせる。何しろスピードガンがなかった時代。何を言っても立証できない代わりに反証もされない。しかし過去の大投手たちが、大谷に劣らない速球を投げていた可能性があるのは紛れもない事実なのだ。

堀内の初速、推定168~170キロ

そのひとりが堀内恒夫である。1960年代後半から70年代にかけてV9巨人のエース右腕として通算203勝を挙げた。ドラフト1期生の1位で入団し、デビューした66年に開幕13連勝を飾っている。縦に大きく割れるカーブに加え、評論家が異口同音に高く評価したのがうなる剛速球であった。1年目の成績は16勝2敗で防御率1位、新人王も沢村賞もさらった。実は連勝中の7月、その球速が機械測定されている。

詳細は省く。場所は後楽園球場のブルペン。光電管を使って精密に測定された結果は、ホームプレート上で155.5キロだった。現在のスピードガンは投手の手を離れた直後の「初速」を測定している。ホーム上の球速から堀内の初速を割り出すと168キロから170キロと推定されるのだ。

左腕でも160キロ以上出ていた可能性のある投手がいる。堀内と同時代に活躍した阪神の江夏豊である。江夏はプロ2年目の68年にシーズン401奪三振の世界記録を樹立した。340奪三振を記録した70年、1秒間で120コマ撮れる改造カメラで投球を撮影してみると、球速は155.5キロだったという(撮影日は不明)。ただしこれはバッテリー間の平均球速。カメラの作動精度などが不明なので断定はできないが、初速に換算すると162キロ前後という推定が成り立つ。

阪神時代、江夏の直球は160キロ以上出ていた可能性がある

阪神時代、江夏の直球は160キロ以上出ていた可能性がある

通算400勝を誇る金田正一も速かった。58年の開幕戦、巨人のゴールデンルーキー長嶋茂雄を4打席4三振に仕留めた快投はいまも語り草になっている。この試合で4番を打っていた川上哲治は「気にするな。あんな金田は初めてだ」と声をかけたが、あの天真爛漫(らんまん)な長嶋の手が震え、コップで水を飲むことさえできなかったという。大卒ルーキーに「プロの厳しさを教えてやる」と燃えた金田の気迫が伝わるエピソードだろう。第3打席で空振り三振を奪ったのは高めストレート。その映像から初速を割り出すと、少なくとも162キロというのが私の推定計算である。

あれほど速いのになぜバットに?

テレビのスピードガン表示が始まったのは79年。80年代には巨人・江川卓、中日・小松辰雄らのスピード競演がファンを喜ばせるようになる。93年にはロッテの伊良部秀輝が158キロをマーク。2005年には横浜ベイスターズのマーク・クルーンが161キロを記録し、日本球界初の160キロ超えとなった。08年にはヤクルトの佐藤由規が161キロを出し、日本人で初めての大台突破を果たした。その後は大谷が更新を続け、いまに至っている。

大谷の速球で不思議なのは、あれほど速いのにバットに当てられていることだ。165キロも出ていれば簡単に空振りを取れそうなものだが、ソフトバンク戦での3球は空振り、ファウル、ファウルと2回当てられた。9月のオリックス戦では糸井嘉男に164キロをライト前に弾き返され、2点タイムリーを許してしまった。これはどういうことだろうか。

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