アファナシエフのモーツァルト ギレリスに万感の思い
クラシックCD・今月の3点
ヴァレリー・アファナシエフ(ピアノ)
かつて第8番と呼ばれたイ短調のソナタ第9番、ハ長調の第10番、最終楽章が単独でも有名な「トルコ行進曲」でイ長調の第11番。モーツァルトのピアノ・ソナタで最も人気のある3曲を集めているが、すべて一筋縄にはいかない鬼才アファナシエフの演奏だから、かなり個性的だ。だが、イ短調ソナタのはじめから、和声のくさびを克明に打ち込みつつ、より大きな音楽の流れに深く身を沈めるかのような趣が広がり、アルバムに隠されたテーマが、今年で生誕100年となる恩師、エミール・ギレリスへのオマージュ(追想)であることに気づく。音楽評論家の青澤隆明氏が東京で行ったインタビューに基づく近著、「ピアニストは語る」(講談社現代新書)を読むまで、アファナシエフがギレリスに対し、これほどまでに最上級の尊敬を抱いているとは知らなかった。「ギレリスの天才性をその精神とピアノの演奏技術の両面からどのように見てきましたか。そして、あなた自身の音楽への理解やアプローチにはどんな残響が認められますか?」という青澤氏の質問に対し、アファナシエフは一言、「ハーモニーを聴き、それを息づかせることです」と答える。「鋼鉄のピアニスト」と呼ばれたギレリスが「真の芸術家」の評価を世界で確立したのは1970年1月、ザルツブルク・モーツァルト週間で行った全曲モーツァルトのリサイタルの実況録音をドイツ・グラモフォン(DG)が発売した時だった。DGデビューでもあったこの名盤のメーンこそ、第9番イ短調のソナタ。69歳の誕生日目前に亡くなった恩師と同年齢に達した今、「いったんは自分の外に出たとしても、より実り多きものとなって自らに還(かえ)ってこなければなりません」と語るアファナシエフは再び、モーツァルトにかえってきた。(ソニー)
塚越慎子(マリンバ)
岩村力指揮読売日本交響楽団(伊福部)/塚越慎子アンサンブル(セジョルネ)
今年は映画「ゴジラ」シリーズの音楽で世界的な名を上げた伊福部昭(1914~2006年)の没後10年でもあった。最晩年の作曲家にインタビューした際も「私を『ゴジラ』だけで語らないでほしい。純音楽の作品も、もっと聴いてほしい」と語っていた。だが出身地の北海道の雄大な自然を思わせるスケール、オスティナート(執拗な反復音型)に代表される強靱(きょうじん)なリズムは純音楽、映画など機会音楽の別を問わず、伊福部の全作品を貫く個性の根幹である。「ラウダ・コンチェルタータ」は1979年に安倍圭子のマリンバ、山田一雄指揮新星日本交響楽団により世界初演された。演奏時間約20分、単一楽章の協奏曲でオーケストラのおおらかな歌、マリンバの「野蛮に近い取り扱い」(伊福部)が強い対照を描きつつ、最後はやはりオスティナートで熱狂的なクライマックスを築く。新進奏者、塚越の解釈と再現は初演者の安倍に比べ、しなやかさで際立ち、マリンバからも柔軟な歌を引き出しているのが新鮮だ。その優しさはフランスの現存作曲家、エマニュエル・セジョルネ(1961年生まれ)のロマンチックな協奏曲へと自然に連なり、アルバムとしての統一感をもたらす。(オクタヴィア)
エンリコ・オノフリ(バロック・ヴァイオリン)
イタリアを代表するピリオド(作曲当時の仕様の)楽器の名手のオノフリが自国の珍しいヴァイオリン作品ばかりを集めたリサイタルを今年10月29日、静岡音楽館で聴いた。チェンバロのリッカルド・ドーニと2人して、聴衆を未知の音世界へと誘って魅了し尽くした後、オノフリは1人で現れ、アンコールにJ・S・バッハの「無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番」の第6(最終)楽章「チャッコーナ(シャコンヌ)」を超高速で弾き、さらなる驚きをもたらした。前後して発売したバッハの無伴奏曲集には「パルティータ」の第2、3番と「ソナタ」の第1番の3曲(全6曲の半分)が収められている。自ら執筆した長大な解説文の冒頭、オノフリはヴァイオリンのための6つの無伴奏曲が「1800年代から1900年代の演奏解釈の影響が、最も大きい楽曲の一つである」と指摘。19世紀のロマンティックな演奏法からの脱却を、自らの再現の基本としたことを明らかにしている。バッハは作曲当時、ドイツのケーテンの宮廷に勤めていたが、オノフリは自身が「18世紀のケーテンにいる」、つまり「フランス趣味の色濃い影響の下、フランスとイタリアの2つの様式の混交の成果である、ドイツ独自の新しい様式の環境に身を置く」とのイメージで作品に向き合う。A(ラ)の音のピッチは390ヘルツで現代の全音下に設定し、フランスのイネガル(不均等)奏法の影響も考慮した。中でも「チャッコーナ」は「バッハ最初の妻マリア・バルバラへの追悼」という、近年の研究で明らかになった側面を踏まえ、葬送的かつ宗教的な象徴性を「深い苦しみ」として劇的に表現し、圧巻である。(日音)
(池田卓夫)
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