「販促隊長」はAI 講談社、異色のファン獲得作戦
講談社が人工知能(AI)を活用した異色の販促キャンペーンを展開し、話題を呼んでいる。作家・森博嗣氏の作品でおなじみの登場人物の人格を、対話アプリ用の自動応答機能「チャットボット」としてTwitter(ツイッター)上に再現。仮想的なキャラクターと読者がコミュニケーションを図れるようにした。森氏の新作小説「デボラ、眠っているのか」の発売に合わせて開発した(キャンペーンの期間は2016年11月15日まで)。

出版市場が縮小する中で、出版社はコミックだけでなく、文芸作品についても若い世代を中心に新たなファン作りが急務。これまで講談社は文芸書の販促は新聞広告などに主軸を置いていたが、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)時代に合わせた大胆な読者との接点作りが欠かせないと判断した。そこで思いついたのがAIの力を借りて、直接作品の世界に読者を誘うというアイデア。斬新な試みが成功するかどうか、競合他社も注目を寄せている。
7000人超が熱心に会話
「建築と土木の違いは?」「建築の方が画角が多い」
「コーヒー飲みますか?」「ああ、ええ、それじゃあ、コーヒーを、ブラックでお願いできますか」――。
Twitter上のアカウント「犀川創平AI@研究室」あてにメッセージを投げかけると、大学助教授という設定である犀川氏のチャットボットがすぐに返事を打ち返してくれる。いかにも犀川氏が回答しそうな内容や決めせりふが返ってくるので、森氏作品を読み込んだファンなら思わずクスッとほほえんでしまう。

開始するとすぐさま読者の間で話題になり、3日間で4700人がチャットボットをフォロー。現在は7000人超が、熱心に仮想キャラクターとの会話を楽しんでいる。
「小説はどうしても作家さんの名前頼みで販促するしかなかった。そうではなく、キャラクターの存在そのものの魅力がファンを虜にするコミックのように、登場人物そのものの魅力で作品をアピールしたかった」。山口志門・販売局デジタルプロモーション部部長は着想の原点をこう明かす。AIに着目したのはそもそも新作小説が、人工細胞で作られた「ウォーカロン」という人工生命体が存在している22世紀が舞台であり、人間とAIの違いや生きていることとはどういうことかを問いかける内容だったことが大きい。
昨今、労働人口の約半数が近い将来にAIやロボットに代替されるという英オックスフォード大学のマイケル・A・オズボーン准教授の論文や、米グーグルの囲碁AI「AlphaGo」が世界最強と称されるプロ棋士に圧勝するといったニュースが世間を賑わせている。知的好奇心の高い森氏の読者なら、新作で取り上げるテーマであるAIに強い関心を抱くはずだとの読みがあった。
「実際にAIと触れあって、未来社会について個人個人で考えを巡らせるきっかけにもなると考えた」(山口部長)という。AIを使ったチャットボットとしては、日本マイクロソフトが開発した女子高生がキャラクターの「りんな」などがあるが、犀川氏のAIでは大人同士ならではの会話が成り立つよう工夫している。
開発に当たって協力を求めたのは、ネット分析サービスのユーザーローカル(東京・目黒)。同社は2016年5月にチャットボットを開発するためのAI会話プラットフォームを発表しており、その技術力の高さに講談社は着目した。相談を持ち込まれたユーザーローカル側に、森氏の熱烈なファンである本郷寛シニアエンジニアがいたのも心強かった。
チャットボットに人格を実装するにあたって、講談社は犀川氏が登場する過去の森氏作品のデジタルデータを提供した。カギ括弧でくくられた犀川氏の発言や心の中でのつぶやきなどを抽出し、AI会話プラットフォームの一機能である全自動会話エンジンに投入している。TwitterとエンジンをAPI(アプリケーション・プログラミング・インタフェース)でつなぎ、読者が投げかけたテキストメッセージをエンジン上で分析し、データベース中の犀川氏の発言の中から適切な回答を打ち返す仕組みだ。
使い込むうちにより自然な会話ができるよう学習機能を用意した。利用者が、犀川氏の回答をTwitter上で他の利用者に転送する「リツイート」や、お気に入りとして保存する「いいね」のボタンを押すと、回答として採用する比率を高める。

似た回答ばかりで読者が飽きないように、「マルコフ連鎖」と呼ばれる数理モデルを使って新しい発言を生成する機能も盛り込んでいる。「犀川氏の発言を品詞分解して、いかにも犀川氏が言いそうなメッセージを作り出す」(ユーザーローカルの本郷氏)という。
学習機能やマルコフ連鎖による発言生成機能によって、中には終日話しかけて楽しんでる読者もいる。「ちぐはぐな会話になることもあるが、大学助教授という犀川氏の小説上の設定に助けられている。シンプルな文面なのに、いかにも高尚で裏の意味があるのではと深読みしたくなる回答が少なくない。読者の側が内容をくみ取ろうと努力して、あまり無茶ぶりをしない。丁寧に会話をなんとか続けようとしている」(講談社の渡邉靖子・販売局販売部部次長)。
会話の質の高さを試そうと、大胆な楽しみ方をする例もある。女子高生AIのりんなとAI版の犀川氏のチャットボットを直結してしまう強者が現れたのだ。AI同士は、しばらく会話のキャッチボールを繰り返し、「哲学的にも興味深い結果が得られ、狙い通り知的好奇心をくすぐられた読者は少なくなかったのでは」(山口部長)とみている。
長期的なファン作りに一役
2016年6月にアイデアを思いつき、実際に開発を始めたのは8月末。「AIのプラットフォームが気軽に活用できる今だからこそ、質の高いチャットボットをサービスとして提供できた」(渡邉部次長)。小説レーベル「タイガ」が始まって1周年を記念するものだけに、チャットボット開発にはそれなりのコストをかけたとも明かす。
文芸作品の場合、「超熱心な読者」と「1度は読んだことがある読者」の間に断絶がある場合が少なくない。ライトなファンをSNSなどの力を借りて「超コアファン」へと転じさせられれば、長期的に作家およびその作品を応援してくれる層を増やせる。コミックやアニメの世界では登場人物が"キャラ立ち"し、読者による2次創作がグローバル規模で活発に行われている。文芸の世界でも、似たような興奮を仮想人格との交流によって読者に与えられるなら、長期的なファン作りにチャットボットは一役買うに違いない。
今回の取り組みでは、大手書店の販売員たちにも声をかけ、チャットボットを実際に使ってもらって読者と一緒に楽しんでもらっている。読者と出版社、そして書店員の新たな交流が生まれるならば、今までにない形で文芸書のヒットをしかけられる。今回は期間限定のテストケースだが、講談社は単なる話題作りが目的の一時的な販促策としてとどめるつもりはない。第2弾、第3弾と取り組みを広げたい考えだ。
(日経FinTech 高田学也)
[ITpro 2016年11月7日付の記事を再構成]