小説家がiPhoneでメモだと夢がない(森見登美彦)
デビュー以来使い続けているポケットサイズのモレスキン

1年半ぶりの新作『夜行』は、『きつねのはなし』以来10年ぶりとなる怪談。5人の仲間が、旅先で起こった不思議な体験を語っていきます。旅の舞台として選ばれた尾道、津軽、奥飛騨、天竜峡などの土地には、森見さんも何度も取材旅行として足を運んだそうです。「森見ワールド」の入り口は、どんなメモから始まるのでしょうか。
アイデアの枯渇におびえて大量のノートを購入。唯一残ったメモ帳

僕がデビューしたのは、2003年。その直後から小説のアイデアが枯渇することにおびえる日々を送っておりまして(苦笑)。「ノートやメモ帳をたくさん買えば、アイデアもたくさん湧いてくる」との妄想にかられて、大きさも仕様も様々なノートを買いました。それらは一度も開くことのないまま、今も売れるほど持っています。
作家のなかには、「構想ノート」「創作ノート」と称して、小説についてのアイデアや構想、登場人物像などを1冊にまとめるやり方をしている人が少なくありません。そんな使い方に大変憧れるんですが、僕はできないんです。一つの小説の構想を集中して考えるとなると、コピー用紙やゲラの裏にメモしたり、自由に書き広げたりします。決まったノート内でやろうとすると、途端に不自由になってしまう。
だから、僕がノートを使えるとしたら、断片的な思いつきを集めていくやり方。その方法に合うのが、モレスキンの手のひらサイズのメモ帳なのです。
このメモ帳は、入り口やきっかけのような存在です。常にかばんに入れて持ち歩き、その場その場で思い浮かんだことや、ひっかかったモノ、人などをここに、ちょこちょこと書き留めます。
(メモ帳をめくる手を止めて)ムハンマドの言葉が書き記してありますね。「尊べ、ただ一片の知識のために地の果てまでいけ」。はっとする言葉でしょう? 何かの本を読んでいたら出てきて、小説に使えそうだなと残しておいたもの。こんな風に、あとあと小説を書くときに文章が膨らみそうなディテールを収集している感覚です。
気に入っている理由は、手のひらに収まるサイズ。デビューしてから10年以上使っているので、ずっとこれでやってきたという実績と、保管のしやすさですかね。1冊が終わったら本棚に並べます。およそ半年で1冊のペースで更新され、今はNO.28(28冊目)に突入したばかりです。
紙は、プレーン(無地)です。方眼や横ケイも試したのですが、その時々の気分で文字の大きさやきれいさが違うので、線があると字の大小やぎくしゃくした感じが際立って、鬱陶しいんですよね。

自然とふるいにかけられて留まったもので書きたい
最新作の『夜行』では、「尾道」「奥飛騨」「津軽」「天竜峡」「鞍馬」と5つの土地を舞台にしています。取材のために、何度か足を運びました。
(パラパラとNo.27のメモ帳のページをめくって)ちょうど上野発青森行きの寝台列車「あけぼの」に乗って、青森を取材したときに使っていたものですね。津軽鉄道、五所川原駅のスタンプなどが押してあります。※寝台特急列車「あけぼの」は定期運行が終了している。
書き残してあるのは、「農具小屋 低い木 りんごの木 雪に埋もれる 濡れた床」など、文章の体裁をなしていない羅列がほとんどです。僕以外の人が見ても何のことやらさっぱりだと思います。
実をいうと、僕の本心としては、旅先でメモするのは好きではないんです。
取材旅行といっても、その方法は、現地の歴史や名産物を詳しく調べて、その土地のいろんなポイントを押さえて話に組み込むようなことはしません。ふわっと、ふらふらと行って、自分がその場所と出合い、そこで何を妄想したかが重要。
「津軽」の話を書くために現地を訪れたときも、不思議に思ったり、面白く感じたモノがたくさんありました。そうやって引っかかったイメージの数々を広げたり、組み合わせたりしてお話を作っていきます。僕にとっての取材は事実関係を調べることではなく、自分の妄想を広げる燃料となるイメージを拾いに行くためなんです。
だから、必死にディテールを探すことよりも、何回も行きたい。何度も行くと、自然とふるいにかけられて自分にとって必要なイメージが残ります。
そうはいっても、青森はそうそう何度も足を運べる距離ではありませんから(笑)、このときはがんばってメモしていました。

メモの内容は執筆に不可欠というより安心材料
そう考えると、取材でのメモは別ですが、思いついたことを記すメモ行為がどこまで重要なのかは謎です。書いても書かなくても、覚えていそうなことばかり。執筆の依頼があったときに何もアイデアがないと怖いからと始めたわけですが、実際はこのメモ帳に頼るというのはそれほど多くないんです。
書くことで安心はします。執筆に欠かせない道具ではなくて、お守りのような存在ですかね。
その場で思いついた断片を集める道具なら、「スマートフォンのメモ機能を使うのはどうか」と言われたことがあります。確かに、スマートフォンはいつもポケットに入れていますが、しないですね。やってしまうと、僕はノートを使わなくなるだろうから。
ノートを使わないのは、すごく寂しい。小説家として、iPhoneでメモしているというのも夢がない。アナログの最後のきずなです。ここはiPhoneに置き換わってもらったら困る。ノートって、ロマンがありますよ。

妖しい気配が漂う怪奇ファンタジー。英会話スクールの仲間が10年ぶりに集まり、かつてのメンバーだった「長谷川さん」の面影を匂わせながら、旅先で起きた不思議な話を語り、謎が謎を呼んでいく。そこに「夜行」シリーズと呼ばれる銅版画の存在が加わり、思いもよらない結末へ導く。連作短編集。小学館/1512円

1979年、奈良県生まれ。京都大学農学部大学院修士課程修了。2003年に、妄想過多な男子大学生がクリスマスで盛り上がる京都の街を疾走する『太陽の塔』で、日本ファンタジーノベル大賞を受賞して作家デビュー。07年に『夜は短し歩けよ乙女』で山本周五郎賞、10年『ペンギン・ハイウェイ』で日本SF大賞を受賞する。『四畳半神話大系』『有頂天家族』はアニメ化された。キテレツな青春ファンタジーの書き手として存在感を放っている。
(ライター 平山ゆりの/写真 鈴木芳果)
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