人事はリゾートで決まる
闘争再び(1)
1982年夏、中国の最高権力者、鄧小平は河北省にあるビーチリゾート、北戴河の海で泳いでいた。

「そろそろ上がって下さい。30分後に会議が始まります」。秘書の王瑞林が浜辺から大声をあげると、鄧は泳ぎながら片手を挙げた。待っていたのは共産党最高指導部「政治局常務委員」のメンバーである陳雲、葉剣英、李先念、胡耀邦の4人。1カ月後に控える第12回共産党大会に向けた詰めの会議だった。
海を望む屋外のテーブルに座ると、鄧小平が向かいの胡耀邦に促した。「耀邦同志、議題をあげてくれ」。
「第12回党大会報告の初稿はすでにできあがりました。鄧小平同志は新旧幹部の交代を進める必要があり、具体的な進め方を政治局常務委員会で議論する必要があるとのご認識です」。胡耀邦が右手を上下に振りながら説明すると、出席者が口を開く。
李先念「指導者は高齢すぎる。ただ、10年間の動乱(文化大革命のこと)が続き、一部の老幹部は失脚から復帰したばかりだ。引退をすぐに受け入れられないのは理解できる」
葉剣英「特に(引退する老幹部の受け皿となる)中央顧問委員会の成立には不満が多い」
慎重論が相次ぐと、たばこの煙をくゆらせていた鄧小平が語気を強めた。「我々老幹部にとってまず重要なのは後継者の選抜と世代交代だ」
陳雲が続く。「老幹部を引退させると同時に若い幹部を選抜しないといけない。それも10人や100人じゃなく、1千人や1万人だ」。思わず立ち上がった鄧小平が手を挙げる。「大賛成だ」。
――中国国営中央テレビが2014年に放送した全48回の鄧小平の伝記ドラマの1場面だ。鄧小平らが1982年の党大会を前に、北戴河で世代交代について協議する場面を再現した。
国営テレビの作成したドラマゆえ、天安門事件や中越戦争など都合の悪い内容には一切触れず、史実との食い違いやフィクションもある。この場面でも、当時の政治局常務委員メンバーでありながら後に失脚した趙紫陽は登場しない。ただ、北戴河に最高指導部が集まること、そしてそれがいかに重要であるかを知らしめる内容にはなっている。
この後の第12回党大会は中央顧問委員会の設立を決め、老幹部に事実上の引退勧告をすると同時に、若手指導者の抜擢を決めた。後の国家主席、江沢民と胡錦濤はこの大会でそれぞれ中央委員と中央委員候補に選ばれた。この北戴河会議で決まった方針だった。
北戴河は北京から東へ300キロ離れた渤海を臨む町だ。19世紀終わりの清朝末期、英国人の鉄道技師が風光明媚(めいび)な土地にひかれ、欧米人の別荘建設が始まった。当初は外国人向けのリゾート地だったが、1949年の新中国建国の頃に共産党が接収。50年代には毛沢東ら国家指導者が夏に訪れ、保養の傍ら重要事項について話し合うようになった。大躍進政策の人民公社設立を決めたのも58年の北戴河会議だ。
北戴河会議は66年からの文化大革命で中断したが、鄧小平が80年代に入って復活させた。ドラマで再現されたように水泳やブリッジを楽しみつつ、重要政策を協議したとされる。やがて7月末から8月上旬の北戴河会議は、現役指導者と長老が非公式に意見を交わす場として定着した。
もっとも、現役指導者にとっては長老に政権運営を干渉される場となる。幾度も廃止論が出た。たとえば90年頃の段階で、すでに複数の党指導者が「北戴河会議はもう開かない」と述べていたという。91年には当時の首相、李鵬が記者会見で「開く計画は無い」と述べたとされる。胡錦濤時代の2003年には新型肺炎(SARS)の影響もあって北戴河会議の停止が発表された。それでも会議が完全になくなることはなかった。
習近平政権では15年夏、国営新華社系の雑誌に北戴河会議の重要性を否定する記事が載った。「規模が縮小した」「北戴河の開催場所が変わった」等々の臆測も絶えない。ただ、複数の党関係者は今もなお続いていると証言する。
記者は今年8月5日に北戴河を訪れた。北京から高速道路で向かう際、途中の料金所で許可証の取得を求められた。昨年の同時期に訪れた時にはなかった規則で、警備はより厳重になっていた。

北戴河に入ると至る所に検問があり、武装警察が目を光らせる。党幹部が使う施設の周辺は道路が封鎖され、ゲート近くに十数人の私服警官がいる。沖合には警戒にあたる2隻の海警局(海上保安庁に相当)の艦船が見えた。
地元住民によると例年7月中旬から9月にかけて警備が厳しくなる。引退して時間がある長老が早目に来て、遅く帰るためのようだ。記者の滞在中、施設近くの道路が30分近く閉鎖された。渋滞する車の遙か先を、黒塗りの車列が通り過ぎた。スモークがかかった車の窓のなかに誰がいるのかうかがい知ることはできない。分かるのは、相当な要人が来ているということだけだ。
中国共産党の最高決定機関は5年に1度開く党大会だ。最高指導部の人事や重要政策はここで正式決定される。ただ、近年の開催は7日間と短く、参加する党大会代表者は2千人を超える。分科会で分散して議論するとはいえ、個別の重要問題をじっくり審議するのは物理的に難しい。まして権益やしがらみがぶつかりあう最高指導部の人事を調整できるわけもない。
天王山は党大会の数カ月前に長老や現役指導者が話し合う北戴河会議だ。第19回党大会を控える来夏の北戴河会議は、いわば「影の党大会」といえる重要な場となりそうだ。
(北京=永井央紀)