無数の紙灯籠が舞い上がる 古都チェンマイの祭り

宙を舞う紙灯籠が織り成す、一夜限りの「天の川」――。数ある世界の祭りの中でも指折りの幻想的なシーンが体験できるとされるのが、タイの古都チェンマイでの「ローイクラトン」だ。陰暦12月の満月にタイ各地で催されるローイクラトンは、チェンマイでは「イーペン祭」とも言われ、満月の夜に紙製の灯籠(コムローイ)が何千と舞い上がる場面で知られる。ロウソクの火をはらんで無数のコムローイが空に躍る神秘的なシーンはディズニー映画『塔の上のラプンツェル』の名場面のモデルになったとされる。この祭りをたずねてタイの古都チェンマイを訪れた写真家の角田明子(つのだ・あきこ)さんに祭りの感想とチェンマイの魅力を教えてもらった。
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祭りにはその土地らしさや文化的背景が凝縮されています。だから、「祭りを見に行く旅」は現地を深く知るうえでおすすめです。もちろん、多くの祭りはスペクタクルだったり、にぎやかだったりと、観光的な楽しみも多いので、退屈することがまずありません。ローイクラトンはあの紙灯籠が空に舞い上がる場面で有名ですが、実際には仏教国タイらしい宗教的な意味合いが強くあります。「祭り=観光的イベント」という先入観に惑わされず、現地に向かえば、タイの風土を深く知るきっかけになります。
半日かけタイ文化に浸る
私が訪れたチェンマイの場合、コムローイを上げる会場ではお昼頃から祭りが始まっています。昼から夕方にかけては会場内にあるタイ伝統料理のフリーフードやドリンクを味わいながら、タイの伝統舞踊や民族衣装を紹介するブースを見て回れます。夕方からはピラミッド状に組まれた台座のような場所に大勢のお坊さんが集まってお経を唱えていて、タイの宗教的ムードを感じ取れます。私はこのチャンスに屋外での瞑想を試しました。高僧たちが集まる場でのメディテーションは特別な時間となりました。
数時間がたって満月が輝き出す時刻になると、いよいよコムローイの出番です。ただ、この紙灯籠自体にも一般的には誤解があるようです。と言うのは、多くの人はたくさんのコムローイが空を埋め尽くすような、割と引いた構図の映像で見知っているせいか、あの紙灯籠それぞれのサイズがそんなに大きくないと思い込んでいる人が少なくないようです。でも、実際には大人が1人では抱えきれないほどの胴回りがあります。大抵は2、3人がかりで持ち上げて、空に放つのです。そんなサイズの紙灯籠が数千も一斉に舞い上がるからこそ、ダイナミックな眺めが生まれるわけです。

幻想シーンの意外な「現場」
だから、あの幻想的なシーンは、間近で見ると、かなり印象が違います。幻想的なだけではなく、迫力があり、しかも、ちょっと危ない。つまり、大きな紙灯籠が炎を内に宿して自分の居場所の周りのあちこちから放たれるわけです。中には手違いなのか、本来は真上に上げるはずのコムローイが斜め方向に上がってしまい、こちら目がけて飛んでくるといったサプライズも起こります。これは結構、怖いですから、油断は禁物です。炎を内に宿した紙灯籠は熱気球の原理で自然に浮き上がります。
空へ放つ瞬間には掛け声のような合図があり、みんなが一斉にコムローイを放ちます。でも、実際には合図より早く上げてしまう人もいて、こういうちょっとゆるいところもタイらしい感じです。この場面はほぼ半日を要するイベント当日のフィナーレを飾る儀式です。時間で言えば、数分間程度の短いものですが、そこに至るプロセスまで含めて全体で祭りを構成しています。お坊さんのお経を遠くで聞きながら、瞑想にふけったり、青空を見上げたりするのも祭りにふさわしい参加の態度と言えるでしょう。せっかちに最後の5分間だけではしゃぐのではなく、時間をたっぷり使って祭り全体を楽しむようにしたいものです。
紙灯籠を空に送り出す瞬間、下から見上げていると、夜空に吸い込まれていくような気分になります。無数の灯籠が揺らめきながらのぼっていく様に、自然と見入ってしまいます。写真は主に見上げるアングルから撮っていたのですが、静止画である写真ではあの情景を表現しきれていない気がします。動きのあるシーンだけに、一緒に撮った短い動画のほうが雰囲気を伝えているところもあるようです。

チェンマイに興味を持ったのは刺繍がきれいなお財布からでした。丁寧な仕事ぶりが気に入って調べてみると、チェンマイ郊外の施設「Ban Rom Sai(バーンロムサイ)」で作られている品でした。こちらの施設はHIV(ヒト免疫不全ウイルス)で親を失った孤児たちの生活施設としてスタートしました。およそ30人の子どもたちが学びながら一緒に暮らしています。寄付に頼らず、きちんとした「ものづくり」を通して資金を得るという運営方針が貫かれていて、神奈川県鎌倉市にもショップがあります。
リメーク財布が導いた旅
いわゆるチャリティーにすがりきってしまわない姿勢が素晴らしいと思います。この施設を1999年に立ち上げたのが、日本人の名取美和(なとり・みわ)さんです。名取さんの父は写真史に名を残す名取洋之助さんです。美和さんの娘である名取美穂さんはNPO法人バーンロムサイジャパンの代表としてこのプロジェクトを支えています。「hoshihana village(ほしはなヴィレッジ)」というすてきなゲストハウスもあり、比較的リーズナブルな料金で泊まれます。こちらは映画『プール』(2009年、小林聡美主演)の舞台になったことでも知られています。

穏やかでなつかしい古都
バーンロムサイの敷地内にある作業場で雑貨や布製品が作られています。山岳民族の伝統的民族衣装に使われていた古布をリメークする形で、小物類によみがえらせています。素材や技術は現地に伝わるものですが、そこに日本から持ち込まれたノウハウやセンスが加わって「いいものを作って売る」というサイクルが出来上がっています。運営スタッフには名取さん親子以外にも日本からのメンバーがいて、こういう形で日本人が貢献できていることにうれしさや誇らしさを感じられます。
チェンマイの街は空気感がやわらかく、カラフルな印象です。古都というだけあって、街全体が何だかなつかしい感じ。首都バンコクとは違って、近代化されすぎていない点に安らぎを覚えます。たとえばほとんどタクシーが走っていなくて、ドアのないトゥクトゥク(バイクを改造した3輪の簡易タクシー)が観光客の足となっています。小型バスのソンテウも交渉次第でタクシーのように使えます。人柄も割と素朴で正直。旅の初心者でも居心地のよい街です。

実体験にもらう「根拠」
私がライフワークとして発行し続けている小冊子風の写真集『REGENBOGEN(レーゲンボーゲン)』では今年出した号でチェンマイを舞台に選びました。世界をポジティブにすてきに表現していきたいという気持ちで写真の仕事に取り組んでいる私にとって、チェンマイの心地よさや奥深さはテーマにふさわしく思えました。旅先での出会いを収めたこのシリーズでは過去にラトビアやエストニア、メキシコ、スウェーデン、デンマークなどを取り上げていて、今回が初のアジアとなりました。

母親になり、子どもたちを育てるようになってから、世界との向き合い方が変わりました。「この子たちに私たちが生きている世界の魅力を自信持って教えられるのか」という疑問を抱くようになり、「まずは自分が行って、ちゃんと見てこよう」と考え始めたのです。もう一つのライフワークとしてサンタクロースの写真を撮り続けているのも、きっかけは「サンタさんは本当にいるの?」という、子どもたちからの問いかけでした。根拠のある答えができなくて、北欧に出掛けていき、実際にサンタクロースとして生きている人たちに会って、子どもたちに言いました。「サンタさんはいたよ」と。
旅で広げたい「人つながり」
自分の旅は大げさな旅にはしません。基本はスーツケース1個で、期間は1週間以内。旅行の準備で大事にしているのは、「人」のつながりです。ガイドブックやネット情報だけをうのみにしないで、できるだけ知り合いのツテを頼って、現地に行ったことのある人や、現地に住んでいる人に手助けや知恵を借りるようにしています。今回のチェンマイでも現地に縁のある方を通じて撮影の機会を得ています。こう言うと、「自分は現地に知り合いがいないから」と心配するかもしれませんが、現地で出会った人からも有益なヒントがもらえるので、日本人だけで固まってしまわないで、地元で知り合いを作る気になれば、旅の幅が広がります。
コムローイ上げはかつてはイーペン・サンサーイ(地域住民用)とイーペン・ランナー・インターナショナル(観光客用)の2本立てでしたが、コムローイ上げに規制ができ、私が参加した年は一斉の打ち上げはインターナショナルだけだったと聞きました。インターナショナルの方は事前にチケットを購入する必要があります。祭り期間の前後はタイ各地はもちろん、アジア各国から観光客が集まるので、目当ての宿の確保はかなり早くから済ませておく必要があります。こういった段取りに関しても現地のネットワークは頼りになるので、旅先の事情に明るい人とつながっておくというのは、上手な旅の秘訣と言えるでしょう。現地に着いてからも名所を訪ねるとか、おいしいものを食べるといった目的に加えて、「人に会う」という意識を持つと、旅の体験と記憶がいっそう深まるはずです。
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