すべて音楽に奉仕するギレリス「鋼鉄のタッチ」
クラシックCD・今月の3点

エミール・ギレリス(ピアノ)
今年は旧ソ連を代表する大ピアニスト、ギレリス(1916~85年)の生誕100年に当たる。ウクライナのオデッサに生まれたユダヤ系、6歳で地元の音楽院に入学した神童だった。モスクワで名教師ゲンリフ・ネイガウスに師事して以降、同門のスヴャトスラフ・リヒテルと並び称される存在になった。宇宙をさまようかのように幻想的だったリヒテルに対し、ギレリスは「西側」で一世を風靡(ふうび)した新即物主義の音楽観の影響下、「鋼鉄のタッチ」と称賛された完璧な演奏技巧のすべてを楽曲の忠実な再現にささげた。第2次世界大戦終結後の東西冷戦期、「鉄のカーテン」の向こうから出現した旧ソ連アーティストの草分けとして、生前は米国や日本でも絶大な人気を誇った。今回発掘されたのは1964年12月6日、米シアトルのオペラハウスで行ったリサイタルの実況。モノラルながらプロ用の本格的機材でとられた音質は鮮明で、マッチョな音圧と透明度を両立させたギレリスの非凡なタッチを鮮明に伝える。冒頭のベートーヴェン、「ワルトシュタイン」ソナタからアンコールの定番だったJ・S・バッハ(ジロティ編曲)の「前奏曲ロ短調」に至るまで、ギレリスの視線は一貫して作品の内面に注がれ、驚くべき演奏効果を上げている。(ユニバーサル)
鈴木大介(編曲・ギター)ほか
没後20年の武満が主に映画、演劇、テレビのために書いた旋律を集めたアルバムの真ん中に、最晩年の1995年に作曲したギターのためのオリジナル作品、3つの小品からなる「森のなかで」が置かれ強い個性を放つ。鈴木が弾く自作の音源に接した武満は「今までに聴いたことがないようなギタリスト」と絶賛したが、死が共同作業の機会を奪った。鈴木は長く温めてきた武満への思いを編曲という形で実際の音に換え、二重奏では松尾俊介、三重奏ではさらに村治奏一とより若い世代のギタリストを巻き込み、豊穣(ほうじょう)な響きを紡いでいく。「夢千代日記」「波の盆」「黒い雨」「ヒロシマという名の少年」という選曲のテイストには、戦争を体験した世代の作曲家の思いを今に生きる世代の視点から、きちんと見つめ直そうとする強い意思も感じとれる。(ベルウッド)
マハン・エスファハニ(チェンバロ)、コンチェルト・ケルン
音楽史ではピアノに先立つ鍵盤楽器、チェンバロ(英語でハープシコード、仏語でクラヴサン)は18世紀に全盛期を迎えたが、主に宮廷音楽の分野で活躍したため、フランス革命とともに歴史の闇に消えた。演奏会場へのカムバックは、20世紀初頭の古楽復興運動まで持ち越された。以後1世紀あまり、チェンバロなどピリオド(作曲当時の仕様による)楽器の潜在能力は現代音楽にも適応するとの認識が広まり、いくつかの新作も生まれた。1984年、イランのテヘランに生まれながら西洋音楽に傾倒し、米スタンフォード大学で音楽学と歴史を修めたというエスファハニもまた、チェンバロのタイムレス、ボーダーレスな可能性を信じて疑わない。英国の詩人T・S・エリオットに触発され、「過去も現在も」と名付けた新譜ではドイツのバッハ父子、イタリアのA・スカルラッティ、ジェミニアーニという古楽の定番の間にポーランドのグレツキ、米国のライヒと1930年代生まれの作曲家2人の作品が、いささか唐突に現れる。とりわけエスファハニが自らチェンバロ用に編曲し、多重録音したライヒの「2台のピアノのためのピアノ・フェイズ」は作曲家自身が驚くほどの効果を上げ、私たちの聴覚を完全に惑わせる。(ユニバーサル)
(池田卓夫)
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