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イチロー 平穏な日々に戻って思う、あの重圧

スポーツライター 丹羽政善

「人に会いたくない時間もたくさんありましたね。誰にも会いたくない、しゃべりたくない」

イチローは大リーグ通算3000本安打を7日にコロラドで達成したが、その過程では精神的に追いつめられ、試合後の会見で、そんなふうに心境を吐露した。

後半戦を残り10本で迎えた頃からメディアが増え、「普段、そこにあった空気が何となく乱れていたというのも感じていた」とイチロー。集中したくても、気持ちを集中できない日々が続くようになっていた。

3000安打達成時の記者会見で、質問に答えながら笑顔を見せるイチロー=共同

自分追い込み、「犬みたいに年取った」

それでもセントルイスで行われた後半最初の3連戦では計4安打をマークして、順調に残り本数を減らす。次のフィラデルフィアでも4試合で2安打とさらに減らしたが、残り4本として迎えたホーム10連戦では、2試合のスタメン出場を含む9試合で17打数2安打。これには、イチローも堪えた。

「この2週間強、ずいぶん、犬みたいに年取ったんじゃないかと思う」

あのとき実は、「これぐらいのこと(10試合で2安打)は、あるよねという感じだった」そうだが、状況を考えれば、のんきなことは言っていられなかった。

「(10試合で2安打は)しんどいんですけど、当然、普段とは違う精神状態に追い込まれて、まあ、(自分で)勝手に自分で追い込んでいるんですけど、追い込んだ中で、結果を出すことは難しい」

しかも、起用は代打が中心。1試合1打席。イチローいわく、1打席で2安打、3安打が、打てるわけではない。

「ただでさえ、代打ってしんどいですからね。この状況で、代打で結果がでないのは、やっぱダメージ大きいですよ。うん」

「人に会いたくない時間もたくさあった」という=共同

スタメン出場の機会がもう少しあれば――。

イチローが自分の殻に閉じこもっている頃、かたくなにイチローをスタメンで起用しないマーリンズのドン・マティングリー監督に対して、そんなふうに恨めしく思ったファンもいたのではないか。そうした人のことを思いやってか、マイアミ・ヘラルドのスペンサー・クラーク記者が、こんなことを言った。

「マティングリー監督のことが、まるでエベネーザ・スクルージのように見えるんじゃないか?」

エベネーザ・スクルージとは、英国のチャールズ・ディケンズが書いた「クリスマス・キャロル」に出てくる、金に執着し、冷徹で、偏屈な老人だが、まるで、そのキャラクターそっくりだ、というわけである。

言い得て妙ではあるものの、やはり、プレーオフが狙える位置にいて、外野手3人がそろっていて打線の要というチーム状況ではやはり、イチローを定期的にスタメン起用することは難しかったのではないか。しかも、ポストシーズンに出場できるかどうかというボーダーラインにいて、さらにはカージナルス、カブスと強豪との対戦が続いたのである。

「犬みたいに年とった」と記録達成までを振り返る=共同

逆境の中でもプラス面を見つける力

だが、節目のヒットを打った7日のスタメンにイチローの名前が入っているのを見つけて、ある米記者が首をかしげた。

「明日から、ホームじゃないか。遠征中、イチローをスタメンで使わなかったのは、ホームで打たせたいからじゃないのか? マッティングリー監督は何を考えているんだ?」

そういえば、ホーム10連戦の9試合目のことである。別の米記者がこうささやいた。

「さっき、ジェフ(・ローリア=マーリンズオーナー)がクラブハウスにいただろ。あれはマッティングリーに、イチローをスタメンで使うよう、無言の圧力をかけているんだ」

じゃあ、明日はイチローがスタメンということか? と聞くと、こう続けている。

「マッティングリー監督が賢ければな」

翌日、イチローの名前はスターティングラインアップになかった。

マッティングリー監督は、やはり「スクルージ」なのかもしれないが、一方でイチローは、いつものように、逆境の中にプラスの側面も見いだしていた。

「セントルイスから球場の雰囲気、ファンの人たちが特別な空気を作って迎えてくれたことから始まって、ホーム(マイアミ)で決めるというのが、なんとなく人が描いたイメージだったと思うんですけど、なかなかそんなうまくいくわけもなく、それもわかっていたことですし、でも、これだけ長い時間、特別な時間を僕にプレゼントしてくれた、というふうに考えれば、この使われ方もよかったなというふうに今は思います」

個人的にも同じような思いがある。記録達成まで、ジワリ、ジワリ、という緊張感をたっぷり味わわせてもらった。

今後、日本から海を渡って大リーグに挑戦する選手が3000本安打を打つことはないだろう。移籍に制限がある限り、不可能といい切ってもいい。彼らの場合、早くても25歳ぐらいにならないと移籍できないというハンディに加え、対戦相手、移動、言葉、ボール、球場など、適応しなければならないことが多い。

試合前、ファンにサインをするイチロー。3000安打を打つ日本人はほかに出るだろうか=共同

3000安打の日本勢、イチローが最後か

さらに、年間162試合という長丁場。野手がレギュラーとして出場を続けることの難しさは、いくら日本で実績を残していても、多くの選手が大リーグの「壁」に跳ね返されてきた過去の例からも容易に知れる。

おそらく、日本人選手が3000本安打を達成するのは、イチローが最初で最後ではないか。その歴史的な一瞬に迫るまでの時間を少しでも長く味わっていたいという思いは、記録達成の瞬間を見届けたい、という思いと同等に近かった。

さて、記録を達成した日の会見でイチローは、「これはみなさんもそうですけど、これだけたくさんの経費を使っていただいてここまで引っ張ってしまったわけですから、本当に申し訳なく思いますよ。それはもうファンの人たちの中にもたくさんいたでしょうし、そのことから解放された思いの方が、思いの方がとは言わないですけど、そのことも大変大きなことですね、僕の中で」と安堵の表情を見せた。

さらには「明日から平穏な日々が戻ることを望んでいます」。そう話したが、翌日は本拠地マーリンズ・パークで地元メディア向けの会見があり、まだバタバタとしたが、翌9日からようやく普段通りに戻った。

その日の試合前、"誰にも会いたくない、しゃべりたくない"というところまで追い込まれていたイチローは、何人かの日本人記者と明るい表情で雑談した。

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