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日本柔道の強さ示した大野、完成形の新王者

これほどの強さを満座の前で示した日本の柔道家を見るのはいつ以来だろうか。男子73キロ級の大野将平は、このリオ大会をもって一つの完成をみたと思う。

近年、柔道の国際化が進むにつれて、他国の格闘技にルーツを持つ多様なスタイルが流入し、本家である日本柔道といえども不動の規範ではなくなっていた。そこへ、この大野の戴冠である。大げさでなく、これは日本柔道の「教科書」だ。井上康生や野村忠宏が五輪を去った後、十数年にわたって絶版になっていた教本の新装版がお披露目された。「こういう柔道をしましょうよ」と日本の選手が国内外に手本を示した値打ちは、金メダル1個分にとどまらず、計り知れないものがある。

今後の柔道の「教科書」を示した大野(右)。価値はメダル以上だ=共同

ムラなし大野、力勝負も平然と

5戦を通じて、大野が示した立ち技の多彩さはどうだ。彼の柔道の中心には内股と大外刈りという2つの大技があり、対戦相手は常にその影におびえていたが、本人はそこにこだわらなかった。決勝の相手オルジョイ(アゼルバイジャン)を仕留めたのは小内刈り。バンティヘルト(ベルギー)との準決勝は足技あり、担ぎ技ありで、ポイントで相手を追いこんだ後の「一本」は意外にも、ともえ投げで仕留めた。

自分の身を捨ててかけるともえ投げとは、相手に返される危険が少ないため、反則を避けてポイントリードを守るための偽装攻撃として用いられることが多いが、大野は決め技の確信をもってこれを仕掛けた。内股に備えていたところに「まさか」のともえ投げ。相手の予測や用心を超えていた。

ロンドン五輪の66キロ級金メダリスト、シャフダトゥアシビリ(ジョージア)との準々決勝で奪った技ありは、力勝負を制したものだった。こういう力自慢の外国人選手との対戦で、日本選手は技にいったところを裏投げなどでよく返される。このため相手との距離を極力保ち、飛びこんで技に入るようにとコーチに諭される。対して、多くの外国人選手は接近戦に持ち込むことに日本選手との試合の勝機を見いだそうとする。

大野は接近戦で相手に譲らなかった。踏ん張る相手を、大外刈りから腰車へと体勢を移しながら強引に横倒しにした。「日本人が柔道をするのに、何を譲ることがある」と語っているようだった。

もともと大野には技の切れがある。王様然とした風格がある。技が切れるがゆえに「いつでも仕留められる」と思うのか、ひところは様子見が続いて勝ちみが遅れたり、相手の逃げやじらしにイライラして、無理な体勢から技をかけては返し技を食ったりしていた。そういうムラが今回、いささかも見られなかった。終始一貫ポーカーフェース。勝った後のインタビューに「五輪もいつもの国際大会と変わらない」と、平然と答えた。

五輪がほかの大会と同じであるはずがない。そしてまた、井上監督に「おまえがエースだ」と責任を負わされた大野が、五輪の怖さに無自覚でいられるわけもない。自覚したからこそ、五輪を「いつもと同じ」と思えるまでに自分を鍛え上げたのだ。「大野は完成した」と私が思うのは、そんな精神面も含めてのことである。

相手の逃げやごまかしを討つのには虚々実々の駆け引きを辞さないが、真っ向勝負なら受けて立つ。見ているこちらを一度もハラハラさせず、「次はどうやって料理するの?」とワクワクさせて、しかも最後の「一本」には予測のつかない技を持ってくる。胸のすく思いがしたし、楽しかった。大野についてはそれ以上、語る言葉がないと思う。

モンゴル選手に一本負けした松本(左)。五輪連覇の道は遠かった=共同

かつてのオーラなかった松本

男子に新チャンピオンが誕生した日、女子の旧チャンピオンは五輪連覇の夢を絶たれた。57キロ級の松本薫は、銅メダル獲得という自分の仕事を全うしたが、4年前の彼女でないことは、柔道とは縁遠い人がテレビ画面越しに見ても伝わっていたのではないだろうか。

かつてのオーラがない。足の運びはいつものように前進していても、往時はあったフィジカルの迫力を感じない。野獣は野獣でも手負いの獣。上背のあるパビア(フランス)との準々決勝をどうにか制したが、技が出ずに延長を含めて8分近くを戦った。3時間あまりの休憩を挟んで体力は回復しても、気力までは立て直せなかったのかもしれない。準決勝の開始24秒でドルジスレン(モンゴル)に背負われ、きれいに1回転した。

五輪連覇の道はあまりに遠い。一つの階級にめぼしい選手がいくらもいない国ならいざしらず、日本選手には特に。長丁場の代表選考レース、うち続く国内外の試合と合宿に著しい損耗を強いられる。初めて頂点を極めるまでの旅はつらいながらも楽しいが、既に知っている眺めをまた見るために4年の風雪を耐えるのは気が重い。たとえそれが、どれほどの絶景であってもだ。

2度目の頂点を目指した松本は9合目で倒れたが、それでも後に続く選手のためにメダルリレーというロープを断ち切らないでくれた。ありていに言えば、今回の女子チームには男子の大野ほどの強者(つわもの)はいない。だから、金メダルとは言わない。7人によるメダルリレーを最後まで全うしてもらいたい。

(筑波大体育系准教授)

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