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競泳・萩野公介の強さの秘密 元コーチ2人に聞く

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2016/8/7 10:47
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八木さんは「大きな子たちよりもずっと大きな泳ぎをしていたのが印象深い」と振り返る

八木さんは「大きな子たちよりもずっと大きな泳ぎをしていたのが印象深い」と振り返る

八木未来さん(小学1年夏から小学2年終わりまで指導)

――小学校低学年のときの萩野選手の印象は?

「まず驚かされたのが持久力。50メートルを何本も泳ぎ続ける練習をさせると、普通の子は1本目より2本目、2本目より3本目の方がタイムが落ちる。それが、萩野君は記録をそろえたり、逆に後になるほどタイムを上げたりしていた。小学校低学年からそんなことができる子はいないから、当時のコーチ陣と『何十年に一人の逸材だね』と話していた」

――栃木の前田コーチは「祖父江先生が育てた宝物を預かってプレッシャーがあった」と話している。

「私が何か特別なテクニックを教えたわけではない。スクールに入ってきた当初から泳ぎは完成されていたので、変にいじらないようにした。私も『萩野君をここまでの選手に育てたのは誰だろう』と思っていた。お母様から『2歳くらいから1人ですいすい泳いでいた』と聞いて、またびっくりした」

「すぐに小学3~4年のクラスに『飛び級』させたが、しばらくするとお兄さんやお姉さんよりも先頭を泳いでいた。2年生になると、全国大会に出る4年生と同じようなレベルだったと思う。一緒に練習している子の中では学年が一番下だから背はうんと低いけれど、大きな子たちよりもずっと大きな泳ぎをしていたのが印象深い」

――指導するうえで何を重視したか。

「スクールの指導方針で得意種目ばかりをさせなかった。個人メドレーの能力アップが得意種目も伸ばすという考え方のもと、4泳法をまんべんなく泳がせた。1泳法だけをさせると使う筋肉が偏る。4泳法で体全体を総合的に鍛えていった」

――萩野選手は「祖父江先生の指導が持久力アップにつながった」と話しているが、1日にどれくらいの距離を泳がせたか。

「多いときは5千メートル程度。平均で4千メートルいくかいかないかだったと思う。ほかのスクールよりはその学年にしては多い方だったと思う。それでも楽しくて仕方ないという様子で泳いでいた。まだ低学年だったから、練習が苦痛とかしんどいとか感じる前の段階だったのではないか」

キック速くて強く、泳ぎも大きく

――当時からテクニックで光っていた部分は?

「キックが速くて強かった。あとは、自由形にしてもバタフライにしても泳ぎが大きかった。同じくらいの身長の子と泳いでも、ひとかきでたくさん進んでいた。あの水のつかみ方は私が教えたわけではないが、非凡なものがあった」

――当時はどんな性格だったか。

「みんな3年生から出場する全国大会に2年生から出ていた。どこに行っても年下だったので、みんなからかわいがられていた。人なつっこく、栃木なまりも残っていたので、本当にかわいかった」

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