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予想覆すサプライズの連続 イチローの前半戦

スポーツライター 丹羽政善

(更新)

「ナイル殺人事件」という映画を見たのをきっかけに、原作を書いた英推理作家アガサ・クリスティの本を読みあさったことがある。名探偵ポアロ、ミス・マープルといった主人公が謎解きをするストーリーが定番だが、そうした探偵が登場せず、誰が犯人なのか見当さえつかない「そして誰もいなくなった」という作品がある。あの結末の意外性には言葉を失った。

1997年に「LAコンフィデンシャル」という映画が全米で公開された。翌年、9部門でアカデミー賞の候補となり、再上映されたとき米インディアナ州の安い映画館で見たが、あのラストシーンを見た後も言葉がなかった。

予定調和には安心感がある。それが裏切られると程度によっては納得がいかない。しかしそれを超えてしまうと別次元となり、ときにあっけにとられ、痛快ですらある。

3000安打打つ選手は早い時期にデビュー

「42歳で3000本? あのときは、不可能だと思っていた」

あのときとは、イチローが大リーグでデビューした2001年のことだ。当時、マリナーズの監督を務めていたルー・ピネラ氏は先日、報道陣との電話会見に応じると、自分の目が間違っていたことを半ば開き直って、むしろうれしそうに認めた。

「2000本を打てればいい方だと。それでもすごい数字だろ?」

同意を求めてきたピネラ氏をだれが責められよう。イチローは27歳6カ月でメジャーデビュー。その年齢でキャリアをスタートさせて通算3000安打を打った人は過去にいない。3000安打を打った選手の中で最もデビューが遅かったのは、23歳10カ月のウェイド・ボッグス(ヤンキースなど)で、3000安打を記録した29人のうち24人が21歳までにデビューしている。3000安打を打つとしたら早い時期にデビューすることが絶対条件とされてきたが、イチローはそれを大胆に覆した。

イチローは今、大リーグ通算3000安打まであと10本(記録は日本時間7月11日現在)と迫っているが、今年に関してもあっさりと予定調和を覆している。

今季の開幕をあと65本で迎えた。だが、シーズン中に打てるかどうか微妙とみられた。先日、マーリンズのマイケル・ヒル編成本部長もこう話していたのである。

「9月に入って、その数字が見えるかどうかだと思った」

5~6月に好調持続、一気に射程圏に

イチローの役割はあくまでも第4の外野手。レギュラーの外野手3人が常時出場を続ければ、ヒットを打つための打席数が十分得られない可能性がある。ヒル氏もそれを懸念したのだ。

「週1回はスタメン出場するとして、残りは代打というイメージだったから」

162試合のうち、スタメン出場が仮に毎週日曜日だとして26回。4打席として104打席。残り試合は全部代打として136打席。合わせて240打席。四球、犠打などをざっと20個とすれば220打数になる。その打数で65安打を打つとしたら2割9分5厘という打率が必要。このシミュレーションに近い経過をたどれば、確かに9月に節目の数字が見えてきて、さて届くかどうか、という状況が想定できたのである。

そういう状況で始まった今季の4月は10安打。想定通りだ。ところが、5月に18安打を放って大きくペースを上回る。好調を持続し6月は25安打。これで一気に3000安打を射程圏に捉えた。

今年は昨年と違って、レギュラーの外野手3人(ジャンカルロ・スタントン、クリスチャン・イエリッチ、マーセル・オズナ)が長期欠場するような事態もなく、イチローの起用も予定通り。スタメン出場は主力が休養を必要とするとき、あるいはちょっとしたケガのとき、そしてア・リーグの球場での交流戦という3パターンに変化はない。

少ないチャンス、きっちりものに

それなのに、改めてイチローの前半戦をたどると、その少ないチャンスをきっちりものにしていることがわかる。

5月21~28日までイエリッチが腰の軽い張りで欠場した。また、スタントンが脇腹の張りで25日から31日までスタメンを外れた。その間、11試合のうち9試合にスタメン出場したイチローは40打数で13安打(3割2分5厘)を放った。

6月は2つの要素が重なった。まず、ア・リーグ本拠地での交流戦。指名打者が使えるので打者枠が増えるが、ミネソタでの3試合、デトロイトの2試合の計5試合すべてにスタメン出場したイチローは11安打を放った。また、スタントンの打撃不振に伴ってスタメンから4試合外れたが、その4試合で代わって先発出場したイチローは計7安打を記録している。かくもイチローは、先発出場した試合ではことごとくヒットを重ねたのである。

この活躍に米メディアも「時間を巻き戻したかのようだ」と称賛し、「オールスターにふさわしい」ともなったわけだが、昨季の低迷を考えればまさか今季中どころか、前半でここまで打つとはと多くがうなった。

統計学を用いて選手の成績を予想するセイバーメトリクス系の専門家も大恥をかいている。「rotochamp.com」というサイトには彼らの予想がまとめられているが、イチローの年間安打数に関する6人の予想を抜き出せば「39」「47」「48」「54」「86」「39」で、今季は前半を終えた段階で55本なので、1人を除いて大きく外した。86本と予想したのは米スポーツ専門局ESPNのデータ分析家、ダン・シンボースキー氏だが、彼は345打数86安打、打率2割4分9厘と予想しており、現時点でのイチローの打率(3割3分5厘)とは大きな開きがある。

もちろんまだ、前半を終えただけである。打率に関しては後半どうなるかわからない。

ただ、記録に関してはもう時間の問題だ。今季中に達成できるかどうか、無理かもしれないという予想が多かった状況で「もう42歳、衰えて当然」という予定調和の世界をイチローは大きく覆して前半の戦いを終えようとしている。

そのギャップこそ、「イチローをオールスターに」という主張の裏にあるものだ。通用するかどうかが問われた01年の状況とも似るが、「あれ、こんなはずでは?」と頭をかいているのはピネラ氏だけではないのである。

ほおにキス、"異文化"の洗礼

ところで、その01年には、おそらくイチローにも全く想定外のことが起きた。

初ヒットを打ったあと、イチローはエドガー・マルチネスのタイムリーで生還する。ダッグアウトに戻ると、監督だったピネラ氏が近づいてきて、ぎゅっと抱きしめられた後、ほおにキスをされた。

「うれしかったから」とピネラ氏。「俺は、感情的な人間だからね」

一方のイチローは、そうしていきなり、予想もしなかったであろう"異文化"の洗礼を浴びたのだった。

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