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偉大すぎるがゆえ? イチローの記録の光と影

スポーツライター 丹羽政善

イチローが二塁に達すると、記録を期待して総立ちだった米サンディエゴのファンが拍手、声援を送る。イチローはといえば、何事もなかったかのようにエルボーガードを外し、近くまで取りにきたバットボーイに歩み寄る。普段と何ら変わらない動きだ。ただ、再び二塁に戻ったところで一層歓声が大きくなると、イチローは少し後ろに下がって、それに応えた。

「(声援に応えることを)しないことが、僕の矜持(きょうじ)だっていうところが少しありましたけれど、さすがに2本目はああされると、という感じですね」

さらに戸惑いがちに言う。

「僕としては、日米を合わせた数字ということで、どうしたってケチがつくことはわかっているので。で、ここに目標を設定していなかったので、あんまり(スタンディングオベーションなどを)やらないでって思っていたんですけれど。でもそれは止められないですから、無視するのも失礼ですし……」

15日に日米通算ながらピート・ローズ氏の大リーグ通算最多安打記録を更新した瞬間のことだ。とはいえ、タイとなった1打席目のキャッチャー前のボテボテのヒットのときは、こらえた。「5フィートの内野安打では、なかなかそれ(声援に応える合図)はできなかった(笑)」。しかしそのとき、ダッグアウトのチームメートは大騒ぎ。それには控えめに応じている。

気恥ずかしくも「すごくうれしかった」

「ダッグアウトからチームメートが喜んでくれている姿が見えたので、軽く」

もっともそれは気恥ずかしい半面、「すごくうれしかった」そうだ。

以前からイチローはこう口にするようになっている。

「自分の記録が特別な瞬間をつくるのではなくて、自分以外の人たちが特別な瞬間をつくってくれる」

今回は日米通算の記録であり、またローズ氏が否定的な発言を繰り返したことから、「冷めていた」とイチロー。「ピート・ローズが喜んでくれていたら、全然違うんですよ。それは全然(自分の気持ちは)違います。でも、そうじゃないっていうふうに聞いているので、だから僕も興味がないっていうか」。しかし、チームメートは冷めていなかった。初回、イチローが生還してダッグアウトに戻ってくると、手荒く祝福し、特別な瞬間を演出してくれたのだった。

さて、図らずもこの日、イチローは今との対比で、過去の苦い思い出に触れた。

「16年目なんですけれど、米国に来て。途中、チームメート、同じ仲間であってもしんどかったことは、たくさんあった」

2010年9月、イチローは所属していたマリナーズの本拠地、セーフコフィールドで日米通算3500安打に到達したが、センターの電光掲示板にはそれを知らせる文字が踊ることはなかった。球団にそうしないでくれとお願いしたのは意外にもイチロー本人で、試合後にその理由を問われた彼は言った。

「2年前のことを勉強してますから、僕も」

2年前?

「そうです。いろいろあったじゃないですか。そういうリスクを僕としては今回、また負うわけにはいかない。そうやって勉強するのが人間ですから、しょうがないよね。本当はそうしたくないけれど」

08年、チームの空気は決していいとはいえなかった。9月に8年連続200安打を記録したが、「マイナスの空気が皮膚から入ってくる。それを避けたかった。これまでより僕の世界をつくりあげていたと思います」と重い言葉を口にし、5月ごろには「よくないと思われる状況というのは、僕はチャンスだととらえることは多いんですけれど、今の状況は無理やりそう考えようとしても無理ですね」とも話している。

8月にもこう心境を吐露した。

「負けているチームというのは足を引っ張ろうとする人がいる。それには引っ張られないように(しよう)とは思っている。結局、それは結果を出していくしかないので、そこの強い気持ちはちょっと持っている。うまくいかないからといって、人も巻き込みたいという人がいるので、そこには負けないという気持ちは持っている」

突き詰めれば、その背景には「嫉妬があった」とその年のシーズン半ばで解雇されたジョン・マクラーレン監督(現フィリーズコーチ)が教えてくれたことがある。

あの年は、7月に日米通算3000安打という節目もあったが、イチローは喜ぶことに恐怖した。それが10年に到達した日米通算3500安打のときに電光掲示板で記録を紹介しないでと異例のお願いをした理由だが、それから間もなくやってきた10年連続200安打のときにチームメートが拍手を送り、笑みを見せると、イチローはほっとしたような表情でこう漏らした。

「喜んでいいんだ」

チームメートがつくってくれる特別な瞬間

以来、特別な瞬間というのは決して自己満足の世界ではなくチームメート、ファンがつくってくれる、という境地に達する。今回のローズ超えでも「冷めていた」という記録を特別なものへと変えてくれたのはチームメートだった。

「同じユニホームを着た人に足を引っ張られないということは大きいですね。本当にいい仲間だと思います」とイチロー。記録達成後、チームは専用機でマイアミへ。飛行機が安定高度に達すると、ベテランのマーティン・プラードが乾杯の音頭をとった。

「我々は、歴史の一部になれたことを誇りに思う!」

かつて、イチローの記録には光と影が混在した。今や光が、影の部分を消し去ろうとしている。

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