プロ化の波、捉えた一発 ボクシング・成松大介
故郷・熊本にメダル誓う

2016/5/25 3:30
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晴れやかな凱旋となるはずだった。リオデジャネイロ五輪切符を土産に帰省した4月14日、ボクシング・ライト級代表の成松大介(26、自衛隊)は熊本地震に遭った。「前震」は先輩の営む飲食店、「本震」は実家の自室にいた時に起きた。

右フックを武器に接近戦を得意とする

右フックを武器に接近戦を得意とする

家の損壊こそ免れたが、小学校に避難し車中で二晩を過ごした。10日後、両親や祖父と別れて東京に戻るときは後ろ髪を引かれる思いだった。「この状況で自分だけ離れたくなかったけど、五輪で結果を出してみんなに元気になってもらうのが自分の役目と、切り替えて帰ってきた」。もともと小さくなかった使命感はさらに膨らんだ。

来月に最終予選を残すが、現在ボクシングでただ一人の代表だ。村田諒太(ミドル級金)、清水聡(バンタム級銅)のメダル獲得に沸いたロンドンから4年、五輪ボクシングは激変した。国際ボクシング協会(AIBA)が「プロ化」を推進。五輪出場枠の多くがAIBAが報酬を出す大会に参加する選手に割り当てられ、国家公務員である自衛隊と大学が主体の日本は置いていかれた。

ルールでは頭部を保護するヘッドギアが廃止され、採点も有効打の数を数える方式からプロ同様にラウンドごとに「10-9」と優劣をつける方式に改正された。日本をのみ込んだプロ化の荒波。これに乗ったのが成松だった。「手数より一発一発の強いパンチを心がけている自分には追い風になった」

珍しい右利きの左構え。昔はアウトボクサーだったが、右フックを武器に徐々にインファイト型に変貌してきた。好きな選手はパッキャオの練習相手から世界王者にのし上がったロシアの突貫ファイター、プロボドニコフ。この好みからもプロ化の時流を捉えられた理由が何となく分かる。

もっとも、五輪の狭き門は運だけでは突破できなかった。4年前の五輪予選(敗退)が事実上の代表デビューで、その後の4年で国際経験を積んだ。「昔は海外選手に気後れしていたが、今は練習と同じ精神状態でリングに立てる」。減量を伴うボクサーが敬遠しがちなウエートトレーニングにも励み、普段の体重は4キロ増の65キロになった(ライト級上限は60キロ)。「パンチ力は4年前と全然違う」と成松。

いま磨いているのはボディーブロー。頭にあるのは、やはり4年前の村田の快進撃だ。「村田さんもボディーで世界を取ったようなもの。自分も頑張ればいけるかも、と思わせてくれた」。今は何者でもなくても、一日で世界が変わるのがボクシング、そして五輪の醍醐味。全身全霊をかける価値はある。

(山口大介)

 なりまつ・だいすけ 1989年12月14日、熊本県城南町(現熊本市)出身。熊本農業高でボクシングを始め、3年時に高校総体3位、国体優勝。東農大進学後の2010年から日本選手権6連覇。13年、15年世界選手権16強。今年1月の国内選考会で清水聡を下し、3月のアジア・オセアニア予選で3位となり五輪出場権を獲得した。戦績104勝(32KO)18敗

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