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アスナビで雇用100人突破 企業と選手の新たな関係

編集委員 北川和徳

日本オリンピック委員会(JOC)が就職先を探すアスリートと企業をマッチングする「アスナビ」(トップアスリート就職支援ナビゲーション)事業による採用がこの春、通算100人を突破した。同事業は2010年秋にスタート。20年東京五輪・パラリンピックの招致成功で企業の関心が高まったことも追い風になり、採用数が急増している。かつて日本の実業団所属選手は企業アマと呼ばれたが、そんな時代とひと味違う、新たな企業とアスリートの関係が生まれてきている。

希望者のエントリーシート公開

JOCのアスナビのサイトでは、就職を希望するアスリートのエントリーシートを閲覧できる

JOCのアスナビのサイトをのぞくと、就職を希望しているアスリートのエントリーシートが公開されている。登録できるのは五輪・パラリンピック競技の強化指定選手と各競技団体(NF)が推薦した卒業を控える学生選手。就職後に競技継続が難しくなって退社して再び求職したり、アルバイトでなんとか競技生活を続けてきたりした選手もいる。現在のエントリーは計34人。シートには顔写真、競技中の写真、経歴、国内外の大会での成績、自己PR、さらに勤務地、勤務日数などについて就労の希望条件も書き込まれている。

トップアスリートとはいえ発展途上の選手が多く知らない名前がほとんどだが、自己PRを読むと、夢をあきらめずに何とか競技を続けたいという強い気持ちが伝わってくる。通常の学生のエントリーシートと違うのは、全員が勤務日の希望として「週1、2日」「相談させてください」「遠征や合宿の際は長期休暇を取らせてください」などフル就業できないことを意思表示している点。20年大会の代表候補の採用を考える企業の担当者は、これを見て問い合わせができる。選手たちは定期的に開催される企業を集めた就職説明会にも参加し、自らをプレゼンテーションして売り込む。

6年前にJOCがアスナビをスタートさせたとき、正直なところ「どこまで採用者がいるのかな」と悲観的な見方をしていた。エントリーシートを読んでもわかるが、学生生活を終えても競技を続けたい彼らが求めるのは、仕事よりも競技を優先することが許され、しかも給料をもらえる環境。企業アマといわれた昔の日本選手がそうだったのだが、「今どき、そんな条件で採用してくれる企業などほとんどないだろう」と思っていた。

もちろん、注目種目でタレント性の高いメダル候補なら、競技の続行に苦労はしない。大手企業がスポンサーに付いて所属企業となってくれる。広告塔としての価値を買うわけで、社員としての仕事など求められない。マラソンの有森裕子さんが日本の五輪アスリートの肖像権使用に門戸を開き、マラソンの高橋尚子さん、競泳の北島康介さんらが自らの商品価値によって競技に専念できる環境を築いてきた。残念ながら、そんなウインウインの関係を企業とつくれるアスリートはほんの一握りにすぎない。

採用形態、約6割が正社員

ところが、当初は年間5人がやっとだったアスナビによる採用は、13年以降は14人、18人、36人とうなぎ登り。今年はすでに5月1日までに27人の採用が決定した。採用の形態も、嘱託・契約社員というケースもあるが、約6割が正社員として雇用されている。

20年五輪・パラリンピックが追い風になっているのは間違いない。JOCの担当者の地道な活動で企業にアスナビがじわじわと浸透していったことも大きいと思う。これまで採用してくれた75社のうち、従業員1000人以下の会社が40社と5割を超える。同300人以下が22社、同100人以下も9社ある。

競泳の北島さんは自らの商品価値によって競技に専念できる環境を築いてきた=共同

実業団リーグや企業アマ全盛だった時代には考えられなかった中小企業がトップアスリートを支える立場に加わってきた。五輪を目指すような選手を会社に迎えてみたいと考える企業はもともと少なくなかったようだ。アスナビを担当するJOCキャリアアカデミーの八田茂ディレクターは「開始当初は『お金もかかるだろうし、われわれには縁がない』との反応が多かった」と振り返る。しかし、実際にはアスナビで採用された選手1人にかかる費用は給与に活動支援費を含めても平均で年間500万円程度。そんな事情が理解されるとともに、20年大会の開催決定によって、需要が一気に膨らんだという。

では、採用する側はどんなメリットを期待しているのか。知名度の低い選手たちだから会社のイメージアップなど広告や宣伝の効果はほとんどない。JOCのアンケート調査によると、アスナビでの選手入社1年後の企業(30社)の7割以上が「選手を応援することで社員の一体感醸成に寄与した」「選手の活躍や競技への姿勢に刺激を受け、社員のモチベーションに変化があった」と回答している。採用の際も約9割の企業がそうした影響を考え、アスリートとしての実力よりも「人柄」を重視しているという。

難しいのはフル就業しない選手たちと一般社員の距離をどうやって縮めるかということのようだ。約3割の企業が「社内の応援態勢作り」と「選手への仕事の与え方」を課題に挙げている。八田ディレクターは「選手の試合を社員が大勢で応援にいくような関係をつくれたところほど満足度が高い」と話す。

引退した10人程度、「そのまま雇用」

実はもう一つ、アスナビに関して意外だったことがある。採用された選手の現役引退後の進路についてだ。大半の選手が世話になった会社を辞めて別の道に進むのだろうと思っていた。ところが、引退選手はまだ10人程度ではあるが、「結婚して家庭に入ったケースなどを除けば、ほとんどそのまま雇用してもらっている」と八田マネジャー。

ロンドン五輪の競泳女子400メートルメドレーリレーの銅メダリスト、上田春佳さんは13年の引退後もキッコーマンに勤務して社会貢献活動として「東北復興」「食育」事業に従事、スケートのショートトラックでバンクーバー、ソチの両五輪に出場した桜井美馬さんも、東海東京フィナンシャル・ホールディングスで今年は学生への企業説明会などに活躍している。競技生活を終えた後こそ、アスリートとして培った人間力を仕事で発揮してもらいたい。JOCはアスナビネクストとして今後は引退後の選手と企業のマッチングにも乗り出すという。

もともと、日本の企業スポーツは社員の娯楽から始まり、会社の求心力アップや社員の士気高揚に貢献できるとして、団体球技を中心に発展した。しかし、会社の広告塔としての効果ばかりに注目が集まるようになると、選手たちが社員たちとは無関係な存在となり、やがて廃部、休部ラッシュが始まった。広告や宣伝の効果を持たないマイナー競技の無名アスリートたちが、昔の原点のような価値を企業から求められているのが興味深い。

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