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着るセンサーが明かすカーレーサー「驚異の暗黙知」

日経テクノロジーオンライン

レーシングカーのドライバーには、コーナーで大きな横方向の重力加速度(横G)がかかる。その影響で体の半身に血液が偏らないよう、筋肉を収縮させて「耐G行動」を無意識に取っている――。

時速300km超でレーシングカーを操る世界のトップドライバーの"暗黙知"が、徐々にではあるが、明らかになろうとしている。それを実現するのが、"究極のウエアラブルデバイス"ともいえる「衣服型センサー」である。

NTTデータと米国法人のNTT DATAは、NTT物性科学基礎研究所、米国のカーレーシングチームChip Ganassi Racing(Chip Ganassi)の協力の下、2015年6~8月に開催された米国のインディカー・シリーズ(IndyCar Series)で、走行時のドライバーの生体情報を取得する実験を行った。2016年シーズンも、3月から最終の9月まで実験を継続している。

生体情報の計測に採用しているのは、着るだけで連続的に測れる機能素材「hitoe(ヒトエ)」の技術。東レとNTTが共同開発したもので、導電性高分子をニット状のナノファイバーに含浸させた生地である。この技術を使ってセンサーを作成し、アンダーシャツに取り付けて計測できるようにした。

モータースポーツでは、これまでにもF1などでドライバーの心拍数を実験的に計測する取り組みはあったが、インディカー・シリーズでは腕時計型センサーや心拍計などの装着は認められていない。また、腕時計型センサーでは心臓までの距離が離れているため精度に課題があった。hitoeの技術を使えば、心拍数などをより高精度に計測できるという。

目指すはトレーニング法の開発

スタートから30秒で時速200km、1分で時速320kmに到達し、最高時速は約378km。インディカー・シリーズは、「フォーミュラカー」を使用する北米最高峰のモータースポーツである。

レーシングカーのコクピットに収まってしまうと外からは分かりにくいが、インディカーは過酷なスポーツで、ドライバーには非常に高い身体能力が要求される。

今回の実験の目的は大きく2つある。1つは、ドライバーの優れた能力を見える化すること。これによって「ベテランドライバーとルーキーの筋肉の使い方の違い」を明らかにし、スキルの向上や事故・ケガの防止、新しいトレーニング方法の開発などに役立てる。「ドライバーが持つ暗黙知を可視化したい」(NTTデータ技術開発本部 エボリューショナルITセンタ デバイス協調技術担当の渡辺真太郎部長)

もう1つは、hitoeの技術が過酷な環境下でどこまで使えるのかを検証することだ。高速走行するレーシングカーでは、大きな振動がドライバーに伝わる。これによってセンサーの電極と体の密着度合いが低下する。さらに、ドライバーのかく大量の汗も"難敵"で、水分によって電流のリーク(漏れ)が発生する。いずれもノイズ源となる。「インディカーで使えれば、どんなスポーツにも適用できる可能性がある」(同)

実験に協力しているのは、NTTデータがスポンサーを務めるChip Ganassiのレーシングカーを運転するTony Kanaan氏。インディカー・シリーズで最も著名な「インディ500」を2013年に制したトップドライバーである。

同氏は、ドライバーに要求されるスキルや身体能力が関係者以外にはなかなか伝わらないことにじくじたる思いを抱いており、hitoeを使ったNTTデータからの実験の提案に快諾したという。

耐熱素材で特別仕様のセンサー

今回の実験の肝は、レース走行中のドライバーの生体情報(心拍数、胸部の筋電)と車両のデータ(速度、加速度、車体の傾き、ステアリング角度など)を組み合わせてデータを分析する点にある。レーシングカーの走行状態とドライバーの身体状態の相関が明らかになる。

センサーが取得したデータは、アンプを介して有線で車両のテレメトリー(遠隔測定)システムに入力。生体情報と車両データが無線でピットに配置したサーバーに送信される。

なお、インディカー・シリーズにはドライバーの安全管理規定があり、耐熱性素材しか着用できない。そのため、唯一使用が認められている米DuPontの「ノーメックス」という耐熱性素材にhitoeの技術を適用してセンサーを作成。それをアンダーシャツに取り付ける特別仕様の"着るセンサー"を開発した。

減速時に体への負担が最大に

データ分析の結果、これまでに明らかになった知見は大きく3つある。

第1に、「ドライバーへの身体の負担は減速時が最も大きいこと」。レーシングカーの走行を「スタート~加速」「周回中」「減速~ストップ」の3区間に分けてドライバーの平均心拍数を比較すると、Kanaan氏の平時の40回/分に対して、周回中も126回/分と高い状態を維持するが、減速~ストップ時は171回/分と最も高くなった。

スタート~加速時は約1分間で時速320km以上に到達するのに対し、減速~ストップ時はその半分の時間で時速320km以上からゼロまで一気に減速するからだ。ドライバーはレース中、常に激しい運動状態にあるが、スタート時、そしてストップ時の負担はかなり大きいと推測される。

第2の知見は、「楕円形のオーバルコースでは最初のコーナーでドライバーの緊張度が最も高まること」。コースを4つのエリアに分けて平均心拍数を比較すると、最初の「コーナー1・2」は、ピットからの進入車、さらにコースに角度(バンプ)が付くことによって緊張度が高まると推測される。この結果を見たKanaan氏も、納得感を示したという。

筋収縮で血液の偏りを抑制

第3の知見が、「ドライバー自身がコーナーで無意識に耐G行動を取っている」ことである。

オーバルコースでは、コーナーでドライバーに外向きの大きな横Gがかかる。その大きさは戦闘機に匹敵する3~5G。横Gによって、体の半身に血液が偏り、中には体がしびれたり失神したりするドライバーもいるという。

今回取得したハンドル切り角と胸部の筋電(筋肉の収縮に伴って発生する電位)のデータの相関から、Kanaan氏は横Gに耐えるために、筋肉を収縮させて姿勢を維持するとともに、右下半身に血液が偏ることを抑制する動作をしていることが判明した。

ピットイン指示の判断材料に

世界最高峰のレースを舞台にした、衣服型センサーを使った初の実験は、これまで見えなかったドライバーの身体状態や無意識の動作を可視化することに成功した。心拍数のデータからドライバーの疲労度を推測したり、耐G行動の分析から新たなトレーニング方法を開発したりできるかもしれない。

ただし、NTTデータが目標とする、ドライバーのスキルの向上や事故・ケガの防止などに実際に貢献するには、今後膨大なデータの蓄積と分析が必要になる。同時に、センサーの改良も必要だ。今回の実験で「使える」ことは分かったが、「現状では振動と汗によってノイズが大きくなり、精度に悪影響を与えている」(NTTデータ)という。

2年目に入った今シーズンは、これまでの心拍数と胸部の筋電に加えて、ハンドル操作を分析できるよう上腕部の筋電のデータも取得している。

同社が今年度の目標として掲げるのは、データ分析を通じてドライバーやチームに役立つ情報を提供すること。例えば、個々のドライバーの生体情報から高いGがかかった状態や虚血状態での限界を検知したり、筋電のデータから集中力が切れるタイミングを予測してピットインの判断をサポートする、などだ。

過酷な環境で鍛えられた「生体情報センシング技術」が、モータースポーツのみならず他のスポーツに波及していく日は、そう遠くないかもしれない。

(日経BP社デジタル編集センター 内田泰)

[スポーツイノベーターズOnline 2016年5月17日付の記事を再構成]

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