ルノワール展

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生涯の友モネ 競い描いた

2016/5/2 3:30
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1869年、20代後半のルノワールは親友の画家モネと連れだって、セーヌ川沿いの行楽地に出かけた。シャトゥーのすぐ近く、「ラ・グルヌイエール」と呼ばれた場所だ。水浴やダンスパーティーで人気を集めていた。

グルヌイエールはフランス語でカエルを意味する。このあたりには水着姿で男性を誘うふしだらな女性がたくさんいて、カエルとは暗に彼女たちを指したという。といっても、2人は女性目当てだったわけではない。都市を離れ、戸外の光の中で美しい自然を描くのが目的だった。

「この絵は印象派の出発点といわれています」。ラ・グルヌイエール美術館を訪ねると、2枚並んだ複製画を指さしながら創設者のジャン=ルイ・エメさんが説明してくれた。右はルノワールの「ラ・グルヌイエール」(69年)、左はモネの同名作(同)。庶民の日常を題材に細かい筆致で仕上げられ、70年代に盛り上がる印象派のエッセンスが凝縮している。駆け出しの2人は切磋琢磨(せっさたくま)しながら新しい表現を見つけていった。

複製画を説明するラ・グルヌイエール美術館創設者のジャン=ルイ・エメさん

複製画を説明するラ・グルヌイエール美術館創設者のジャン=ルイ・エメさん

ルノワールはグレールの画塾で、1歳年上のモネと知り合った。30代になってモネがセーヌ川沿いのアルジャントゥイユに住むと、たびたび彼の家を訪れ、同じ風景をモチーフにする。この頃のモネは貧乏を極めていたから、ルノワールがパンを持っていくこともあったらしい。

「クロード・モネ(1840-1926)」はアトリエ内で制作する親友をとらえた1枚だ。モネのパレットには鮮やかな赤や黄色の絵の具が並ぶ。これから草原に咲く花々でも描くところなのだろう。真っ黒な服を着た画家の表情は穏やかで、親愛の情に満ちている。

その後、モネはジヴェルニーに、ルノワールもシャンパーニュ地方や南仏に拠点を持つが、交流は絶えなかった。それぞれの場所でモネは風景画の、ルノワールは人物画の巨匠として大成していく。

1919年、78歳でルノワールは没した。悲しみに沈むモネは、新しい芸術を求めて共に闘った青春の日々をしきりに思い出しながら、「たった1人残されてしまうのは、つらいものです」と知人への手紙につづっている。2人にとってセーヌ河畔で過ごした時間は、生涯にわたってかけがえのないものであり続けたのだった。

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