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陰る地の利 船場空洞化(関西繊維のいま)
(中)プレーヤー去る問屋街

2016/3/4 15:00
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大阪の街で繊維の本場である船場から、また1つ繊維会社が去ろうとしている。帝人は繊維問屋などが集まる船場センタービル近くの堺筋本町から、大阪本社を移す方向で検討している。

帝人が移転の検討を始めたのは、ビルの老朽化がきっかけ。大阪市内の最新のオフィスビルを軸に、中之島など複数の候補地を検討しているもようだ。だが移転に傾いたのは、船場の空洞化も大きな要因だ。

すでに伊藤忠商事が2011年、丸紅は15年に大阪の拠点を船場から梅田に移した。国内繊維産業の縮小とともに、物流や商談の中心地だった船場の問屋は減少に歯止めがかかっていない。

■海外勢が台頭

繊維産業が活況で、大正時代に「東洋のマンチェスター」とも呼ばれた大阪。船場には糸を織物業者に卸したり、縫製品を小売店に売る問屋などが多く集まった。

明治維新後の1882年、「日本資本主義の父」と呼ばれる渋沢栄一らが大阪紡績(現在の東洋紡)を大阪市に設立。これを端緒に、NHK連続テレビ小説「あさが来た」の白岡新次郎のモデルとなった広岡信五郎らが尼崎紡績(現在のユニチカ)を設立するなど、関西に繊維会社が相次いで誕生した。

だが今や「生き残っている問屋は縫製業などに進出するか、消費者に直接販売するかのどちらかだ」と繊維問屋の日繊商工の俣野富美雄会長は話す。江商(現兼松)や日綿実業(現双日)など「五綿八社」と呼ばれた繊維商社のうち、単独で事業を継続し船場に本社を残すのはヤギだけになっている。

大阪万博の前に阪神高速道路の高架下に整備された船場センタービルは、荷下ろしのトラックでごった返し、大通りを通り抜けるのに1~2時間かかることもあったという。転機はくしくも万博と同じ1970年の日米繊維交渉。沖縄返還を実現するため、繊維製品の対米輸出自主規制に踏み切り、船場の問屋は事業縮小を余儀なくされた。

総合スーパー(GMS)が台頭した70年代以降には、船場が主な顧客としていた地域の衣類店は激減。それでもしばらくは「高品質の繊維製品をつくり、国内需要を囲い込むことで繊維産業は維持された」(国士舘大学の阿部武司教授)。だが90年代以降は中国から安価で高品質の繊維製品が流入し、日本の繊維産業は壊滅的な打撃を受ける。

■情報集まる東京

現在の船場センタービルで繊維問屋が入るフロアは人通りがめっきり減り、空き店舗が約4分の1を占める。経営者の高齢化も進み「7~8割は今の世代で店をたたむことを検討している」(繊維問屋)という。

繊維の町「大阪」の求心力も低下している。東洋紡やユニチカなど今なお大阪に本社を置く会社は多いが、クラレは04年、本社機能を東京へ移した。当時社長だった和久井康明相談役は「情報が集まるのは東京。東京移転は自然の流れだった」と振り返る。当時は液晶テレビ向けの偏光板用フィルムや自動車用樹脂などの拡大に力を入れており、顧客のニーズを取り込むには東京が便利という事情もあった。

国内繊維産業の衰退と東京へのシフトという2つの流れの中で、大阪の繊維産業は再び厳しい局面に直面している。

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