2019年2月17日(日)

7世紀半ば最大級方墳か 舒明天皇初葬地の見方、明日香村

2015/1/16付
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奈良県明日香村の小山田遺跡で、石敷きの大規模な堀跡が長さ約48メートルにわたって見つかり、調査している奈良県立橿原考古学研究所が15日、発表した。築造時期は7世紀半ばで、同研究所は「未知の巨大な方形の古墳(方墳)で、近くの石舞台古墳(一辺約50メートルの方墳)を上回り、当時では最大級」と推察。舒明(じょめい)天皇が最初に葬られた墓ではないかとの見解も示している。

ただ研究者からは「蘇我蝦夷など別の有力者の墓では」「古墳かどうか、さらに調査が必要」などの声も上がっている。

舒明天皇は天智天皇(中大兄皇子)の父親。日本書紀によると、舒明天皇は642年に滑谷岡(なめはさまのおか)に葬られた9カ月後に「押坂陵(おしさかのみささぎ)」に改葬された。押坂陵については、宮内庁が舒明陵として管理している段ノ塚古墳(奈良県桜井市)とする見方が有力。

東西方向の堀跡は幅7メートル以上、高さ1.5メートル以上。北側の斜面と底面には川原石を敷き、南側の斜面には板石に加工した室生安山岩を階段状に積んであった。

こうした階段状遺構は段ノ塚古墳にしか見当たらないといい、同研究所は「舒明天皇の初葬地」(菅谷文則所長)説の根拠の1つとしている。

堀の南側に墳丘があったが、築造からまもなく大部分が壊されたとみられる。埋葬施設は未確認で、同研究所と県教育委員会は引き続き周辺を調査するとともに、遺構の保存策を検討する方針。

遺構は県立明日香養護学校の校舎建て替えに伴う発掘で発見した。近隣には菖蒲池古墳(奈良県橿原市、7世紀中ごろ)など多数の古墳がある。

発掘地点は蘇我蝦夷・入鹿の父子が邸宅を建てたとされる甘樫丘の南端。研究者からは「蝦夷らが生前に築いたと日本書紀に記録がある『大陵(おおみささぎ)』では」との声も出ている。

▼舒明天皇(在位629~641年) 推古天皇の没後、蘇我蝦夷の後押しで即位した。後の皇極(斉明)天皇を皇后とし、天智天皇(中大兄皇子)や天武天皇らをもうけた。初めて遣唐使を送ったほか、勅願による最初の官寺「百済大寺」を造営した。

▼段ノ塚古墳(奈良県桜井市) 台形の段築の上に8角形の墳丘がある。築造時期は7世紀中ごろ。宮内庁が舒明陵として管理し、研究者の間でも舒明天皇の墓との見方が有力。初めて8角墳を採用した天皇陵とされる。

▼石舞台古墳(奈良県明日香村) 一辺約50メートルの方墳で、周囲に石敷きの堀がある。墳丘の土が失われ、巨石を組み上げた横穴式石室が露出している。7世紀前半の築造とみられ、蘇我馬子の墓との説が強い。

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