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浅田真央さん引退 お茶の間沸いた、熱狂の10年

2005年グランプリ(GP)ファイナルを浅田真央が制し、06年トリノ五輪で荒川静香が金メダルに輝いて、この国に空前のフィギュアブームがやって来た。その様子を、病気療養中の鈴木明子(12年世界選手権3位)は不思議な気持ちで眺めていた。

少し前の全日本選手権は3千人収容の会場に空席が目立ち、生中継もなかった。07年に本格的に競技復帰した鈴木は、あまりの注目度に「同じ競技をしているように思えなかった」と笑う。

浅田真央さんは7月にプロデビューする予定

トリノを最後に荒川が競技を退くと、若い浅田の身に巨大なバリューが吹きこまれることになる。シニア参戦となる06~07年シーズンを前に、既に伊藤ハム、オリンパスなどのスポンサーがついていた。浅田をCMに起用した企業は軒並み売り上げを伸ばし、オリンパスはコンパクトカメラ市場で5%ほどだったシェアが、浅田起用の3年で15%になったほどだ。

地上放送はNHK杯のみだったGPシリーズも06年から全6戦が地上波で放送されている。浅田を中心としたスケーターの群像と、悲喜こもごものドラマ。視聴者に向けられた訴求力は、スポーツの話題がお茶の間をにぎわした昭和の世にまで時計の針を巻き戻すほど強力だった。

荒川の述懐。「私もそうだけど、日本の選手は(幼いころに)世界で戦う難しさを身近に感じられる機会がなかった」。そんな偶像に、テレビの中の浅田はなった。「今の若い選手には浅田選手は大きな刺激だったと思う」

日本のブーム到来と時を同じくして北米のフィギュア人気が冷え込み、欧米のトップスケーターがこぞって来日するようになった。中学生だった羽生結弦も憧れの五輪王者プルシェンコ(ロシア)に会い、一緒に滑る機会を得た。これも浅田から始まったブームが運んできた恩恵だ。

ブームは日本スケート連盟を潤し、強化費として若手に還元される。ジュニアもアイスショーに出演し、海外で練習し、プログラムを作る。「浅田の功績は計り知れない」と伊東秀仁・同連盟フィギュア部長。浅田に憧れた少女たちが来年の平昌五輪に向けて妍(けん)を競う。「真央ちゃんみたいになりたくて」。自分の成りたちを語る三原舞依(17年四大陸選手権優勝)のうわずった声が、失われたものの大きさを物語る。

ブームの行きつく先はどこなのか。米国はミシェル・クワンの引退とともに熱が冷め、なかなか浮上できずにいる。「伊藤みどりさんを目指してやってきて、私もスケート界を引っ張ってこれたかなと思う。これからは若いパワーで高めていってほしいと思います」。浅田からのメッセージだ。=敬称略

(原真子)

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