トップ > 特集 > 被災地の今 > 記事

復興、日本の映し絵 動き始めた経済 自力で立つ時
再生への闘い(1)

(1/2ページ)
2016/3/6 2:00
保存
共有
印刷
その他

2011年3月11日の東日本大震災から間もなく5年。1万8千人超の犠牲者を出した惨劇を胸に、新たな日常が芽生え始めた。震災の傷はあちこちに残るが、立ち止まっているわけにもいかない。復興の行方はこの国の再生への課題とも重なる。

その瞬間、そばにいた兄を振り返る余裕はなかった。

「SOS」が書かれた宮城県南三陸町の志津川高校グラウンド(写真左、2011年)。今は登校する生徒たちの明るい声が響く

「SOS」が書かれた宮城県南三陸町の志津川高校グラウンド(写真左、2011年)。今は登校する生徒たちの明るい声が響く

11年3月11日午後3時20分、岩手県大槌町。浪板観光ホテルリゾート社長の千代川茂(63)は轟音(ごうおん)と共にホテルの階下から押し寄せた津波に、脇目も振らず坂の上へ走った。

それでも、最大20メートルの津波に巻き込まれ、気を失った。15分後に意識を取り戻したが兄の姿が見当たらない。避難先で迎えた夜、自問した。「私は兄を見捨てたのか」。町に戻ると、足元の残骸から誰とも判別できない遺体の一部がのぞいていた。妹とホテルの従業員3人もなくなった。そう聞いたが涙すら出ない。心は凍り付いていた。

千代川が奈落に沈んでいたころ東京電力福島第1原子力発電所ではメルトダウン(炉心溶融)が発生。放射性物質拡散の恐怖が日本列島を覆った。

戦後史のどん底

「日本が主権国家でなくなる」。首相だった菅直人(69)は焦った。メルトダウンの収拾の遅れに業を煮やした駐日米大使ジョン・ルース(61)が「米国の専門官を首相官邸に常駐させるべきだ」と求めた時のことだ。

「この国そのものが瀬戸際に追い詰められている」。経済産業相だった海江田万里(67)は菅のつぶやきを聞きながら「第二の占領」という言葉が脳裏にちらついたことを覚えている。

東日本大震災は日本の戦後史のどん底で起きた。

中国が日本を抜く世界第2位の経済大国に。11年2月、こんなニュースが世界を駆け巡った。グローバル経済の変容に後れを取ったニッポン。その1カ月後に大震災が発生した。日本の貿易収支はこの年、31年ぶりに赤字に転落し、戦後日本の成功を象徴した「輸出大国」の看板は過去の物語になった。

崩れる常識。出口の見えない不安。日本人の誰しもが感じた閉塞感を映すかのように、11年末の日経平均株価は8455円まで下げ、年末の株価としてバブル崩壊後の最安値を記録した。

  • 1
  • 2
  • 次へ

日経電子版が最長2月末まで無料!
初割は1/24締切!無料期間中の解約OK!

保存
共有
印刷
その他

電子版トップ

電子版トップ特集トップ