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歴史は警告する 人災は避けられる
再生への闘い(5)

2016/3/10 2:00
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「奇跡の集落」。岩手県大船渡市吉浜地区にある真新しい石碑にはそう刻まれている。東日本大震災で同地区にも津波が襲ったが犠牲になったのは住民約1400人のうち1人だった。

「おじいさんのおかげだねえ」。100歳になった柏崎ナカは話す。祖父の丑太郎は旧吉浜村の村長で、1933年の昭和三陸津波の後、住民の高台移転を強力に進めた。

「高台へ」の教え

「此処(ここ)より下に家を建てるな」と記された石碑(岩手県宮古市)

「此処(ここ)より下に家を建てるな」と記された石碑(岩手県宮古市)

丑太郎には苦い経験があった。昭和津波から37年前の1896年。明治三陸津波で住民の2割の約200人が亡くなった。高台に移転する動きが出たが、昭和津波でも17人が犠牲になった。繰り返された犠牲の歴史。昭和津波後の丑太郎は強引との批判にも動じず住民の高台移転を徹底した。

5年前のあの日。揺れを感じたナカは坂をのぼった。「地震が来たらまず逃げろ」。少女だったころのナカに繰り返し説いた祖父丑太郎の面影を思い出しながら。そうやって、ナカは平成の大津波を生き抜いた。

「三陸沿岸は津波襲来の常習地である」。1923年の関東大震災を予測した初代地震学会会長、今村明恒はかつてこう警告した。

だが、明治、昭和の津波で高台移転した岩手と宮城の30地区のうち、21地区は平成の東日本大震災でも大きな被害にあった。いつしか災害の惨劇の記憶が薄れ、不便な高台を離れる人々。津波の怖さを知らない移住者も低地に家を建てた。

死者・行方不明者1700人以上を出した陸前高田市もその一つ。1960年代以降、人口増に伴って沿岸部に宅地を広げた。都市計画に携わった元市職員の荻原一也(89)は「869年の貞観地震や1611年の慶長三陸地震の津波が今回と同じ規模と知ったのは震災後だった」と悔やむ。

地震の2割日本で

この10年で起きた世界中の大地震の2割は日本で起きた。日本列島周辺では地球の表面を覆う4つのプレートが接しており、地震が発生しやすい宿命は変わらない。天災は避けられないが、人災は避けられる。

多くの人々のふるさとを奪った東京電力福島第1原発事故。津波の高さは東電が想定した5.7メートルを大きく上回る約13メートルだった。東電は2008年、明治三陸並みの地震が起きた場合、津波の高さは最大15.7メートルとの試算を得ていたが、具体的な対策に生かすことはなかった。

試算の検討に関わった東北大教授の今村文彦(54)は言う。「震災前から貞観津波の堆積物調査をもとに巨大津波の可能性を東電に伝えていたのだが……」

静岡沖から九州沖にかけて延びる海溝南海トラフを震源とする巨大地震は100~150年周期で日本の太平洋岸を襲う。今から約1300年前の720年に編さんされた日本書紀は、最古の南海トラフ地震とされる白鳳地震(684年)をこう記す。「国中の男女が逃げ惑い、山は崩れ、川はあふれかえった」

天災の宿命とどう向き合うか。新たな闘いはすでに始まっている。(敬称略)

=おわり

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