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大田昌秀さん死去 元沖縄県知事

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大田昌秀氏(2014年1月)

元沖縄県知事として基地問題の解決に尽力し、参院議員も務めた大田昌秀(おおた・まさひで)氏が12日午前11時50分、肺炎と呼吸不全のため那覇市内の病院で死去した。この日が92歳の誕生日だった。告別式は15日午後2時から沖縄県浦添市伊奈武瀬1の7の1のいなんせ会館。喪主は妻、啓子さん。

沖縄県久米島生まれ。沖縄師範学校在学中に鉄血勤皇隊に動員されて沖縄戦に身を投じた。戦後、早大教卒。琉球大教授などを経て1990年に沖縄県知事選で初当選。2期8年を務めた。

知事時代の95年に起きた米兵による少女暴行事件をきっかけに爆発した県民の怒りを背景に、政府と鋭く対立。米軍用地の強制使用の代理署名を拒むなど政府に基地問題の解決を迫り、日米両政府は96年に米軍普天間基地の返還で合意した。

普天間基地の移設先についても「県外」を求める姿勢を貫いた。政府との関係悪化により沖縄振興策が滞り「県政不況」が指摘され、98年の知事選で地元経済界が推す稲嶺恵一氏に敗れた。

知事在任中に、沖縄戦などの戦没者の名前を刻んだ「平和の礎」を建設した。2001年には社民党から参院選に立候補して当選し、1期6年務めた。政界引退後は沖縄国際平和研究所の理事長を務めていた。

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