京都 独創性が育つ伝統 哲学者・梅原猛さん(私のかんさい)
人類の闇に勝る思想を

2016/12/1 6:00
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■哲学者の梅原猛さん(91)は1987年、日本文化の国際的な研究機関、国際日本文化研究センター(日文研)が京都に設立されるのを指揮した。仙台市で生まれ、愛知県で育った。戦時下に京都大学に入学して以来、京都市に居を構え、独創的な論考を発表し続ける。

 うめはら・たけし 1925年生まれ。48年京大文卒。京都市立芸術大学学長、国際日本文化研究センター所長などを歴任。三代目市川猿之助(現猿翁)と組んだスーパー歌舞伎「ヤマトタケル」など戯曲も手掛ける。99年文化勲章。

うめはら・たけし 1925年生まれ。48年京大文卒。京都市立芸術大学学長、国際日本文化研究センター所長などを歴任。三代目市川猿之助(現猿翁)と組んだスーパー歌舞伎「ヤマトタケル」など戯曲も手掛ける。99年文化勲章。

青春時代は戦争で死と隣り合わせだった。だから、人生を論理的に考えたくて哲学の研究を志した。京大哲学科を選んだのは「善の研究」などの著作がある西田幾多郎以来受け継がれていた独自の哲学を語る学風にひかれたため。当時、東大は西洋の哲学を研究していればいいという雰囲気だった。他人の哲学の研究が主なので、私はこれを「哲学学」と呼ぶ。東京は学問の師匠にも逆らいにくい。対して京大で学んだ私は、自分の頭で思索することが哲学だと思った。

立命館大の助教授だった時代、東大教授の丸山真男ら著名文化人に次々と論争を仕掛けた。丸山は「日本文化はタコツボ型で、ヨーロッパ文化はササラ型」と論じた。ヨーロッパの思想はササラのように一つの根元から枝分かれしているのに対し、日本は並立するタコツボのごとくバラバラという。一方、私は日本の思想に仏教、儒教、神道という骨を考える。それで、厳しく批判した。

独創的な論考の前段には、従来の説への長い間の疑問があるもの。私は自身の哲学を構築するには、日本のことを研究せねばならないと考え、40歳くらいから取り組んだ。40代後半につかれたように書いたのが「隠された十字架」「水底の歌」など。それらは「梅原古代学」と称された。

■日文研の創設に傾注し、87年に日文研の初代所長に就任。3期8年間務めた。

日文研の創設は、中曽根康弘元首相との出会いがあって成せた。私は日本研究が国際的に広がる中、日本を総合的に研究する機関が必要だと考えた。設置するなら場所は京都。東京に置くと政治に支配される懸念がある。学際的な研究を特徴とした京都学派の桑原武夫、今西錦司、梅棹忠夫、上山春平ら諸氏も同じ思いを抱いていた。

日文研発足のころ、教官と梅原氏(前列右から2人目)

日文研発足のころ、教官と梅原氏(前列右から2人目)

日文研は来年創設30年を迎える。在籍者の中から私や心理学の河合隼雄、万葉学の中西進、経済学の速水融の諸氏ら文化功労者が多数出た。当初から自分で考える人間を選んで登用してきた。今年も美術史の辻惟雄と現所長の小松和彦の2氏が、文化功労者に選ばれた。

文化庁の移転が具体化してきたが、霞が関でも移転するなら京都しかないと思ったのではないか。これも日文研を設置した成果の一つだと思う。

■現在は京都市左京区の自宅で日々、自身の哲学を確立するため想を練る。自宅は西田幾多郎が散歩しながら思索したことから「哲学の道」の名が付いた小道の近くにある。

最近、やっと自分の哲学を語れるようになった。人類は戦争、すなわち同類を大量殺害する動物。人類の闇の部分だが、それでは救われず、闇に打ち勝つ思想を打ち立てねばならない。来年6月くらいに、この思想をまとめた著作「人類の闇と光」を出版する。

京都には作家の瀬戸内寂聴氏、茶道裏千家の千玄室氏という「怪物」がいる。一般的に能力が傑出した人は、東京にいると政府などから何かと仕事を仰せつかる。ところが京都にいれば「東京まで出向くのは無理」と断れる。怪物が生きやすいのは京都の伝統じゃないかな。

(聞き手は編集委員 小橋弘之)

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