老いる街に活力再び 泉北ニュータウン半世紀(1)
軌跡
1965年に大阪府が事業計画を決定し、67年に入居が始まった泉北ニュータウン。堺市南部を中心に開発面積は1500ヘクタールを超え、当初の計画人口は18万人。開発が5年ほど早かった同府北部の千里ニュータウンを上回り西日本最大級の規模だ。当初は臨海部のコンビナートなどで働く若年労働者向けの専用住宅も用意した。今で言う独身寮のような建物やスポーツ施設を整備し、「ヤングタウン」と名付けた。
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街開きから半世紀。堺、和泉市にまたがる泉北ニュータウンの人口は92年の16万5千人をピークに減少に転じ、現在は13万人を下回る。時代の変化を受け、住宅に風呂がないヤングタウンは2001年に閉鎖が決まり、跡地は高校などに姿を変えた。建物や道路などインフラ(社会基盤)の老朽化が進み、「住民の高齢化や空き家の増加に伴うコミュニティーの活力低下が大きな課題」(竹山修身堺市長)という。
市も手をこまぬいていたわけではない。10年春に「泉北ニュータウン再生指針」をまとめ、「市民や大学、行政などが連携して街の価値を高め、次世代に引き継ぐ」と宣言。同年秋に子育て世帯向けの家賃補助制度を作った。最大で月2万円を5年間支給、若い人を呼び込む。17年1月からは通学定期代の補助も始め、人口流出に歯止めをかける作戦だ。

堺市全体の働き手世代(15~64歳)は15年末までの10年間に11%減ったが、同タウンでは28%も減少した。開発当初に入居した若年世代が、40~50年を経て続々と年金生活に入るためだ。魅力的な街に再生するには「子育て家庭の比率を高め、『オールドタウン』から脱皮する必要がある」(ニュータウン地域再生室)。
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大阪府は千里ニュータウンの開発に当たり、地元の反対運動で用地買収に苦しんだ。その教訓から「泉北では開発対象を3つの丘陵地帯に絞り込み、すでに民家が多かった川沿いの地区は除いた」(同)。結果的にニュータウン周辺には「旧村」と呼ばれる、開発前からの集落や豊かな自然がたっぷり残った。この財産をいかに生かすかも泉北再生のカギとなる。
堺支局長 小島基秀が担当します。