「コクの文化」 演技に厚み 俳優 堀内正美さん(私のかんさい)
民の技 若者に伝授の場を

2017/2/23 6:00
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■ドラマや映画で渋く脇を固める俳優、堀内正美さん(66)。実は神戸市を拠点に活動している。1984年、東京から移り住み、今やすっかり「神戸人」だ。

 ほりうち・まさみ 1950年東京・世田谷生まれ。桐朋学園短大在学中に俳優デビュー。阪神大震災後、ボランティア団体「がんばろう!!神戸」や認定NPO法人「阪神淡路大震災1.17希望の灯り」を設立し、代表を務めた。

ほりうち・まさみ 1950年東京・世田谷生まれ。桐朋学園短大在学中に俳優デビュー。阪神大震災後、ボランティア団体「がんばろう!!神戸」や認定NPO法人「阪神淡路大震災1.17希望の灯り」を設立し、代表を務めた。

もともと舞台演出を志していた。映画監督で家庭を顧みないと思い込んでいた父に反発し、映像の世界に進む気はなかった。ところが蜷川幸雄さんの助手をしていた時に声がかかり、思いがけず俳優の道へ。それなりに注目されたが、表現者として限界を感じていた。どこかに冷めた自分がいて役に没頭しきれない。

地に足がつかない人生を歩むのか。息子がアトピー体質だったこともあり、家族を優先して生き方を整理しようと移住を決めた。

■関西の風土に触れ、「人」との出会いを重ねることが演者としての覚醒につながる。

神戸や関西は海があり山があって自然や食、文化に恵まれているが、それだけではない。例えるなら、東京はボージョレ・ヌーボー的な新しくフルーティーな世界が絶えず循環しているのに対し、関西は熟成されたコクがある文化だ。

それはドラマ制作にもあてはまる。東京に比べ撮影スタジオは少ないのに美術から小道具、撮影技術に至るまで職人技が伝わっている。規模が小さいゆえに経験値が高い。今でもワクワクする。

俳優業と決別しようと神戸では調剤薬局の経営を手がけた。今も高齢者宅や福祉施設に配達に出向く。様々な人と語り、地域の課題を知るとともにリアリティーをもって「人」を見つめられた。演技に幅と厚みを与えてくれたように思う。

東京との距離は物事を相対化して見ることに役立つ。東京では仕事も暮らしも一面鏡と向き合う感じだったが、まるで違う鏡に気づく。人から求められることは生きる力になるとも痛感。どんな役でも演じようと思い直す契機になった。

■95年の阪神大震災。2011年の東日本大震災。多くのボランティアとともに被災者支援に取り組む。

阪神大震災後、被災者やボランティアと造花などの作製・販売に取り組んだ(1998年、神戸市)

阪神大震災後、被災者やボランティアと造花などの作製・販売に取り組んだ(1998年、神戸市)

ボランティアに取り組んだのは、フラットでそれぞれが自律した市民社会が創れるのではと期待したからだ。父方の祖父の存在も大きい。山梨県の自宅に私塾を構え、地域の高齢者が子どもに手工芸を教えたり、子どもが文字を教えたりしていた。「半学半教」。幼心に心地よい関係だと感じたのを覚えている。

東京では考えられない方と接点ができたのも財産だ。貝原俊民さん(元兵庫県知事)とは「皆が東京を向く中、西日本の熟成した文化を大事にしよう」と意気投合。阪神・淡路復興委員長だった下河辺淳さん(元国土事務次官)とはまちづくりのあり方を論じる機会を得た。父親世代の哲学に触れる貴重な経験だ。

■関西の魅力は行政頼みではなく、市民や企業人らが培ってきた市民力にあるという。

神戸では酒造会社が灘中学・高校をつくり人材を輩出。大阪でも商人が公共財の橋を造るなど関西では「民」が積極的に「公」を担ってきた。東京にはない「町衆の文化」だ。神戸の企業人を見ると、そんな気概が今も息づいている。

神戸は雇用の場が減り、大阪や東京へ若い人が出ていく。まちの活力を高めるには若い世代が戻れる場をつくらなくては。そのヒントはものづくりにある。震災後、被災者の手仕事づくりを支援する中で長田で靴を縫うミシン工さんの卓越した技を知った。職人技を若者に伝授する場をつくれば、様々なクラフトに加え、「神戸メード」の健康福祉産業創出などにもつながっていくのではないか。

(聞き手は大阪地方部 川上寿敏)

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