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巨木確保 アフリカまで よみがえる興福寺中金堂(4)
軌跡

2015/10/23 6:00
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「最も難しいのは木材の確保だった」。興福寺中金堂の再建に当たった瀧川寺社建築(奈良県桜井市)の國樹彰顧問は振り返る。

中金堂の柱は直径77センチメートル、高さ10メートル。原木は直径1メートルを超すカメルーン産だ

中金堂の柱は直径77センチ、長さ10メートルが36本、直径62センチ、長さ5.3メートルのものが計30本必要だ。直径77センチの柱の場合、丈夫な中央の部分だけを使う。削る前の直径で1メートル以上の丸太が必要になる。

直径1メートルもの大木を国内で切り出すのは不可能だ。世界中を探してもなかなか見つからない。木材卸業者らのネットワークを頼りに、ようやく見つけたのがカメルーンやその周辺で伐採されたアフリカケヤキだ。現在ではもう伐採禁止になっているという。

興福寺の境内整備計画を策定する7年ほど前のことだ。同寺の多川俊映貫首は、瀧川寺社建築の瀧川昭雄会長に、中金堂再建の相談を持ちかけた。

すると瀧川会長は「再建はしばらく黙っていて下さい」と口にした。計画が表面化すれば足元を見られ、大木の価格が上がる恐れがあるからだ。買い付けも慎重に行った。計画を察知されぬよう、7年かけ小刻みに発注した。

興福寺は時の権力者だった藤原氏や朝廷と密接な関係にあったため、過去の再建に関する文書が残っている。「設計図の作製は、それほど苦労しなかった」(國樹顧問)という。さらに平城宮跡(奈良市)の朱雀門(98年完成)と大極殿(2010年完成)という奈良時代の建物を復元する国の事業があったことも幸いした。瀧川寺社建築の宮大工は2つの復元を通じて当時の工法や工具の使い方に習熟することができた。

中金堂は18年に落慶を迎えるが、興福寺の復興は続く。多川貫首は「次は北円堂の回廊の復元。五重塔の調査・修理も待っている」と気を引き締めている。(この項おわり)

次回は「琳派のタネ花開く」

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