2019年3月19日(火)

京都府しか通らない「JR奈良線」(とことんサーチ)
名の由来 100年前の再編

2016/4/23 6:00
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かつて日本の都だった平城京と平安京。歴史ある社寺や史跡が多く残る奈良と京都の間をわずか50分弱で結ぶJR奈良線の快速電車「みやこ路快速」に乗って巡る観光客も多いだろう。だが、同線の区間が京都駅(京都市)―木津駅(京都府木津川市)間であることは意外に知られていないのではないだろうか。奈良県内を通らないのに、なぜ奈良線なのか。名称の由来を探ってみた。

ある時、友人を連れて、奈良観光に出かけた。京都駅で切符を買おうと、券売機の路線図をみると、JR奈良線の路線の色が木津駅を境に変わっているのに気づいた。後で調べると、京都駅―木津駅間はJR奈良線、木津駅―奈良駅(奈良市)間は関西線の一部になっていた。みやこ路快速は木津駅以南で関西線に乗り入れる形で運行していると初めて知った。

今回の取材ではまず、鉄道史に詳しい奈良大文学部の三木理史教授を訪ね、疑問をぶつけてみた。すると「(JR奈良線の前身である)奈良鉄道の時代には奈良県内も走っていたようです」と三木さん。どうやら謎をひもとくには関西の鉄道史から調べる必要があるようだ。そこで三木さんの書いた「『関西鉄道会社』解題」と「関西鉄道史」(奥田晴彦著)をひもとき、経緯を調べてみた。

それによると、さかのぼること120年近く前、京都から奈良、奈良県桜井市までを南北に結ぶ鉄道があった。今のJR奈良線に路線が引き継がれている奈良鉄道だ。

奈良鉄道は京都と奈良を結ぶ私設鉄道として1896年に京都駅―奈良駅間、99年に奈良駅―桜井駅間が開通する。奈良以南は今の桜井線の一部にあたる。

旧国鉄を経てJRになっても、奈良鉄道の全路線を引き継いでいたら、今でも奈良線は文字通り奈良県内を走っていたに違いない。だが、そうならなかったのは20世紀初めに関西で起きた鉄道再編に原因がある。

当時の関西には「近畿鉄道大合同」と呼ばれる動きがあった。JR関西線の前身である関西鉄道に周辺の鉄道が次々と合流していたのだ。関西鉄道は三重県と滋賀県を走る私鉄がおこりで、大阪や奈良、和歌山などに群雄割拠していた鉄道会社を次々と合併。名古屋と大阪の二大都市圏をつなぐ関西最大の私鉄へと成長していった。奈良鉄道も1905年、この関西鉄道に組み込まれた。

関西鉄道の一部となった奈良鉄道は当初、奈良駅で関西鉄道と連絡するだけで、車両の乗り入れはなかった。関西鉄道の名古屋と大阪を結ぶ急行列車は加茂駅から南に進み、直接、奈良駅に向かうルート「通称・大仏線」(約9.9キロ)を走っていた。

ところが07年に大仏線が廃止され、旧奈良鉄道の一部である木津―奈良間が名古屋―大阪間のメーンルートに入る。大仏線には急坂の難所があり、機関車を追加しなければ通過できなかった。運行コストがかさむうえ、安全性にも問題があったという。

そこで関西鉄道は大仏線を廃止し、加茂駅から木津駅に接続する新路線を建設したというわけだ。それが、JR奈良線が奈良鉄道の奈良県内の路線を継承できなかった大きな理由とみられている。

07年に関西鉄道が国有化され、官設の東海道線と「過当競争をする必要がなくなったことも背景にある」と三木さんは言う。多くの旅客・貨物が行き来する名古屋と大阪を結ぶルートを巡り、関西鉄道と官設の東海道線は運賃の引き下げやサービス面で激しく競い合った。加茂駅―奈良駅間を結んでいた大仏線は急行列車を走らせる関西鉄道にとって必要な路線だったが、国有化で競争はなくなり、存在理由を失ったわけだ。

ところで奈良線と呼ばれるようになったのはいつからなのだろう。三木さんは「奈良鉄道の名残ではないか」と推測するものの、西日本旅客鉄道(JR西日本)広報部は「関西鉄道が国有化された頃にはすでに奈良線と呼ばれていたようだ。経緯までは分からない」といい、謎は残る。

奈良線に乗ったときには、その不思議な歴史に思いをはせてみるのもいいかもしれない。

(京都支社 浦崎健人)

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