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赤潮を止めろ 官民一丸 琵琶湖 環境再生の道(1)

軌跡

琵琶湖は今年4月、日本遺産の18件の1つに選ばれた。水辺の景観と、伝統的な祈りと暮らしの文化が評価された。近畿1450万人の水がめでもある琵琶湖は高度成長期以降に公害や開発で環境が大きく変わり、一時は瀕死(ひんし)の状態に陥った。そこから行政や住民、企業が立ち上がり、今に至る環境再生への取り組みが始まった。

1977年5月。滋賀県知事の武村正義氏が執務室で書類に目を通していると、職員が飛び込んできた。「琵琶湖に赤潮が出ました。すぐに見に来てください」。車で10分ほどの大津港に向かうと、琵琶湖大橋以南の「南湖」の水が赤茶けた色に染まっている。「大変なことになった」。琵琶湖は悲鳴を上げていた。

研究者や公害対策部門の職員の間では「原因がリンや窒素による富栄養化であることは知られていた」(大阪産業大学人間環境学部の津野洋教授)。特に問題だったのはリンだ。工場や農地からの排水にも含まれていたが、このころ普及した合成洗剤には水に溶けやすくするためにリンが使われていた。

当時の下水道の普及率は2~3%。「排水路を見れば隣の家の夕飯の献立がわかるような状態」(滋賀県琵琶湖政策課の小松直樹課長)で、生活排水はそのまま琵琶湖に流れ込んでいた。

リンを減らせ――。官民は一斉に動き出した。県は工場や農地からのリンの排出規制に加え、リン入りの洗剤を「使わず、売らず」との内容を盛り込んだ条例の制定に動いた。洗剤メーカーからは強い反発も受けたが、79年に県議会で全会一致で「琵琶湖条例」が制定され、80年に施行された。

消費者も動いた。地域の婦人会や生協に所属する主婦らが合成洗剤の代わりに環境への負荷が小さい粉せっけんを使おうと促す「粉せっけん運動」。県内各地で水にうまく溶かす方法の講習会などが開かれた。

すでに自主的に工場廃水を浄化していた大手企業も追加の投資がかさむにもかかわらず、さらなる水質浄化に協力した。

赤潮発生から数年で琵琶湖に流れ込むリンは減った。武村氏は、県民が「琵琶湖は病気」との危機意識を持ったことが水質改善への動きを速めたと振り返る。

問題が解決したわけではない。今月12日、県は83年に初めて確認された富栄養化の現象の一つであるアオコが今年も発生したと発表した。水質への懸念はまだ残っている。

大津支局長 広谷大介が担当します。

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