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もっと関西 宝塚の自然・人 歌劇団育む 宝塚歌劇団特別顧問 植田紳爾さん(私のかんさい)
大阪 文化的土壌に誇りを

2017/5/18 6:00
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■宝塚歌劇団特別顧問の植田紳爾さん(84)は今年入団60年を迎え、兵庫県宝塚市に本拠を置く歌劇団の生き字引といえる存在だ。この間、演出家として「ベルサイユのばら」など数々の大ヒット作を送り出してきた。

 うえだ・しんじ 1933年大阪府生まれ。早稲田大学卒。57年に宝塚歌劇団に演出家として入団。96年から2004年まで歌劇団理事長を務め、現在は歌劇団特別顧問。長男は日本舞踊の上方舞山村流宗家の山村友五郎。

うえだ・しんじ 1933年大阪府生まれ。早稲田大学卒。57年に宝塚歌劇団に演出家として入団。96年から2004年まで歌劇団理事長を務め、現在は歌劇団特別顧問。長男は日本舞踊の上方舞山村流宗家の山村友五郎。

私が宝塚歌劇を初見したのは中学生だった1946年4月。宝塚大劇場の戦後再開公演でした。住んでいた神戸の街は焼け野原だったのに、大劇場の中だけはカラフルな衣装にあふれていた。この印象は強烈で、「宝塚熱」にかかるのにわけはなかった。

歌劇団への入団は早稲田大の学生時代に、元歌劇団男役大スターの葦原邦子さんと出会ったことがきっかけ。葦原さんに2年ほど、私たち学生劇団の指導をお願いしたんです。私が演出家志望で実家が神戸と知ると、「宝塚になさい」と強く勧められ、歌劇団の重鎮、白井鐵造先生を紹介していただいた。

白井先生は1950年代、演出家として春日野八千代さん出演の「源氏物語」など大きな仕事を次々になさっていた。何もない舞台にセットを組み、自分のイメージした物語世界を創り上げる。「これだけの舞台を作らせてもらえるのは宝塚しかない」と、歌劇団を志望した。

歌劇団で、劇作家の北條秀司先生の仕事を手伝えたのも幸せだった。北條先生は私を気に入ってくださり、ある日、「一緒に来い」と言われて行った先は寺院の中山寺(宝塚市)。宝塚の草創期を支えた久松一声先生のお墓だった。当時、お墓から大劇場が見通せて、「歌劇団に尽くす」と気持ちを新たにした。

■宝塚歌劇は1914年に第1回公演を行って以来、宝塚市を本拠地としてきた。

尊敬する劇作家、北條秀司さん(右手前)と植田さん(右奥)

尊敬する劇作家、北條秀司さん(右手前)と植田さん(右奥)

だから、歌劇団は続いてきたんです。大劇場は山や川に近い自然が豊かな場所にある。歌劇の演出は阪急電車の宝塚駅を降りたところから始まっているといってよく、大劇場へと花の道を歩むうちに劇世界へといざなわれる。そこが、大都市の劇場と違うところ。

生徒(劇団員)も宝塚にいるから守られている部分がある。生徒には「甘えちゃいかん」といさめていますが、町の人は「宝塚のお嬢さんだから」と優しい。それに大都市にいると誘惑が多いから、生徒も落ち着かないでしょうしね。

宝塚歌劇は2014年に100周年を迎えた。これが、私にとっては長いようで短く思え不思議な感じなんです。創設者である小林一三先生に直接、言葉をかけていただき、1914年の第1回公演に出演した高峰妙子さんから草創期の話を聞かせてもらった。こうしたことで、体験する以前のことも自分のなかでつながっているのだと思う。

■2007年から、日本演劇協会(事務所・東京)の会長職にもあり、各地の演劇状況にも目を配っている。

出版社は東京に集中しているから、地方の試みはなかなか人々の耳目に入らない。でも、その土地にしかない文化があり、その土地ならではの演劇活動につなげていってほしい。演劇の裾野が広がれば頂点は高くなり、必ず演劇界の活性化につながる。

私がいま住む大阪もそう。大正後半から昭和初期、日本一の都市となった「大大阪時代」を懐かしみ、東京を意識するばかりではダメ。それよりは、大阪の文化的土壌に誇りを持ち「だから、大阪の人間はこうできているんだ」という発想で物事にあたるべき。

東京オリンピックが2020年に開かれるが、世界の人々に見ていただきたい文化は国内各地にある。

(聞き手は編集委員 小橋弘之)

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