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しがらみ排し東京遷都 幕末維新の群像 (6)
軌跡

2016/9/22 6:00
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東京を首都に定めた法令や文書は実在しない。明治政府がなし崩し的に皇居や政府の官庁(太政官)を京都から移したためだ。

慶応4年(1868年)9月、政府は元号を明治に改め、即位した天皇が10月に江戸城に入った。「公家社会の威光や町衆のしがらみの強い京都から、政府は皇居や政府官庁を移転させたかった」と青山忠正・仏教大学教授は語る。

当初、大久保利通が提唱した大坂遷都は公家の反対で却下。京都に都を残しつつ、東京も都と定める2都体制にしたが、事実上の遷都だった。

政府の要職は薩摩、長州、土佐、肥前(佐賀)の4藩が占めた。実権は薩摩の大久保、長州の木戸孝允、公家の岩倉具視らが握った。明治4年(1871年)、廃藩置県を断行した。独自に軍隊や徴税権を持っていた藩を廃止し、県令(現在の県知事)を派遣。政府による中央集権体制を築いた。

改革の断行は各地で反乱をもたらした。最大の不満分子がかつての武士の士族だった。政府は明治9年(1876年)に士族の給与を打ち切り、武士の誇りだった刀を持つことも禁じたからだ。

西郷隆盛は士族の不満を一身に背負い、盟友だった大久保と決別して下野し、西南戦争の首謀者になって自爆。明治10年(1877年)9月に鹿児島の戦地で切腹した。病気療養で一線を退いていた木戸は、西南戦争の行方に気をもみながら京都で病死した。

翌年5月、大久保は東京で士族に暗殺された。明治維新の「三傑」と称された大久保、西郷、木戸が立て続けに非業の死を遂げ、幕末維新の動乱は終幕した。

明治13年(1880年)、国民8万7000人の請願をもとに国会期成同盟が結成された。「明治政府に対し、国民が国会開設や憲法制定を要求する機運が盛り上がり、近代国家が確立した」(青山教授)

幕末に欧米列強と結んだ不平等な通商条約が政府の懸案だった。関税自主権を回復し、対等な関係になったのは日露戦争の勝利後の明治44年(1911年)のことであった。(この項おわり)

次回は「天満天神繁昌亭の10年」

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