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坂本龍馬、薩長連携に奔走 幕末維新の群像(4)
軌跡

2016/9/16 6:00
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渡米経験があり視野の広い勝海舟から、影響を受けた人物が西郷隆盛のほかにもう1人いる。土佐の脱藩浪士、坂本龍馬だ。欧米列強の侵攻を阻止して国家を再建するには、薩摩や長州の有力藩が連携して海軍力を強化する必要があると考えていた。

慶応元年(1865年)閏(うるう)5月、坂本は長州藩重臣の木戸孝允(桂小五郎)に会い、下関で西郷との会談の場を設けた。坂本と同じ土佐脱藩浪士の中岡慎太郎が薩摩から西郷を連れて来るはずだったが、西郷はすっぽかした。木戸の面子はつぶれ、薩長の溝は深まった。

そこで坂本は英国の武器商人グラバーとの関係を生かし、薩長を実利で結びつけた。坂本は外国製の銃や軍艦を幕府に悟られないように薩摩名義で購入して長州に売り渡した。薩摩には不足していた兵糧米を長州から送った。

慶応2年(1866年)1月、長州の木戸は京都の薩摩藩邸に出向き、西郷や家老の小松帯刀と会談した。長州の政治的復権を孝明天皇に求めていくことで両藩が合意した。薩摩側には長州との提携に慎重論もあったが、会談を仲介した坂本が西郷らを説得した。会場となった薩摩藩邸は現在、同志社大学今出川キャンパスの一部になっている。

この会談は日本史の教科書で「薩長同盟」「薩長連合」と呼ばれ、江戸幕府を倒す契機になった軍事同盟と解釈されてきた。

しかし近年、歴史学者の間では「薩長はまだ幕府を倒すことは想定しておらず、軍事同盟とは言えない」(青山忠正・仏教大学教授)との知見が優勢だ。「薩長が敵とみなしたのは徳川幕府ではなく、京都政界を牛耳っていた一橋慶喜(後の15代将軍)や会津・桑名藩だった」(家近良樹・大阪経済大学教授)との見方も強い。

幕府は6月、長州に派兵し戦闘を開始した(第2次長州征討)。石高削減など禁門の変の処分受け入れを長州が拒否したためだ。しかし幕府は長州と提携した薩摩に出兵を拒否された。高杉晋作が組織した農民武装の奇兵隊などに幕府軍は敗れた。幕府の統治能力や権威は失墜した。

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