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新選組、池田屋事件で出世 幕末維新の群像(2)
軌跡

2016/9/14 6:00
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新選組隊士は粗暴な武闘派のイメージがあるが、近年の研究者の見方は異なる。京都の歴史地理に詳しい中村武生・京都女子大学非常勤講師は「局長の近藤勇は信念を自分の言葉で演説できる政治家だった」と指摘する。

近藤は京都・祇園のお茶屋「一力亭」で、幕府と諸藩の会合に出席した際に、「長州や薩摩は単独で攘夷(じょうい)を行っているが、徳川将軍のもとに団結して攘夷を行うべきだ」と堂々と意見を述べ、称賛された。

池田屋事件の跡地にある標石。今は居酒屋に(京都市)

池田屋事件の跡地にある標石。今は居酒屋に(京都市)

新選組の名が広く知られるようになったのは、長州藩士らを襲撃した元治元年(1864年)の池田屋事件だ。前年の八月十八日の政変で追放された長州藩や親長州派の志士たちが巻き返しを狙って京都に潜伏し、相次ぎテロを起こしていた。

新選組の近藤ら4人は6月5日夜、三条木屋町の旅館「池田屋」に集まっていた長州の志士たちを急襲。約30人を討ち取り、捕縛した。新選組は幕府から「さらなるテロを防いだ」と表彰され、多額の褒賞金を受け取った。

池田屋跡地の標石がある場所は現在、居酒屋になっている。大階段や隊士の人形など奇抜な内装が施してあり、新選組ファンを楽しませる。

新選組は赤穂浪士と並んで小説や映画、テレビドラマの題材によくなるが、「歴史学や政治思想史として新選組の研究が本格化したのはここ10年のことだ」と京都女子大の中村氏は指摘する。その泰斗の1人は歴史学者の松浦玲・桃山学院大学元教授だ。

松浦氏は「池田屋事件の直前まで、近藤は自分たちの役割が分からなくなり悩んでいた」と語る。攘夷を決断しない将軍徳川家茂に失望し、新選組の解散を決心していた。しかし池田屋事件で功を遂げ、松浦氏は「京都警護や長州征討で幕府に仕えることが務めだと考えた」と近藤の心の内を解説する。

新選組は京都守護職の会津藩主の配下にあった。池田屋事件が契機となった会津藩と長州藩の戦闘は明治元年まで長く続くことになる。

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