2019年2月16日(土)

大阪・深江、なぜ菅笠がシンボル?(とことんサーチ)
かつて沼地 スゲの産地 伊勢参り 旅人が重宝

2016/7/30 6:00
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大阪市営地下鉄千日前線、新深江駅(東成区)のホームに降り立つと、壁に笠の絵が描かれているのに気がついた。四国八十八カ所を巡るお遍路さんなどがかぶる菅笠(すげがさ)のようだ。深江と菅笠の関わりとは? 地元を歩いて探ってみた。

大阪市営地下鉄千日前線の新深江駅にある菅笠をモチーフにした絵

大阪市営地下鉄千日前線の新深江駅にある菅笠をモチーフにした絵

駅のコンコースには菅笠をモチーフにした縦1.8メートル、横15メートルの絵がある。寄贈したのは東成区に本社のある文房具メーカーのコクヨ。説明文には「深江は第11代垂仁天皇の御代(みよ)に、大和の国の笠縫邑(むら)より笠縫一族が移住し、代々菅笠を作ったことから笠縫島といわれ……」とある。奈良時代が始まるよりも昔のことだ。笠作りの技術はどのぐらい前から伝承されてきたのか。

「東成区史」によれば古代の深江は浅海で、後に河川から土砂が流れ込み、沼地になった。肥沃な土地は菅笠の材料であるスゲの生育に適し「良質のスゲが自生しているのを見つけ、笠縫氏が移住地に選んだのでは」と市民協働課の担当者。入り江にできた深江が「笠縫島」と呼ばれたのもうなずける話で、この呼称は万葉集や本居宣長の随筆集「玉勝間」にも登場する。

地元の「深江菅細工保存会」を訪ねると、代表の島谷真由美さん(51)が耳寄りな話を聞かせてくれた。天皇即位に伴う「大嘗祭(だいじょうさい)」や伊勢神宮の式年遷宮で用いられる菅笠は代々、深江の地から奉納されてきたという。

大阪教育大名誉教授だった故鳥越憲三郎氏(古代史)らが執筆した「摂津深江の菅笠の研究」をひもとくと、927年に完成した律令の施行細則「延喜式」に、摂津国笠縫氏が伊勢神宮の式年遷宮に菅笠を調達した記述があることが紹介されていた。平安時代には既に、今につながる伝統が始まっていたらしい。

大阪と奈良を結び、伊勢神宮への参拝道だった暗越(くらがりごえ)奈良街道は深江を通る。伊勢参りが流行した江戸時代、菅笠は雨具や日よけのほかに「魔よけとしても旅人に人気だったそうです」と島谷さん。

だがコウモリ傘や麦わら帽の普及で需要が減り、宅地化が進んだこともあり、1960年頃にはスゲを栽培する菅田が深江から消えた。「このままでは奉納の伝統が途絶えてしまう」。危機感を抱いたのは島谷さんの母で、菅笠作りの唯一の担い手となっていた幸田正子さん(78)。地元の主婦らと88年に「深江菅細工保存会」を発足させ、技法を教えるようになった。

菅笠をつくる深江菅細工保存会のメンバー(大阪市東成区)

菅笠をつくる深江菅細工保存会のメンバー(大阪市東成区)

当初6人だった会員は現在13人。使用するスゲの4割は深江のものだ。以前は全て富山県高岡市福岡地区から仕入れていた。河川の氾濫が多く沼地が広がった同地区は加賀藩の産業奨励の下、江戸時代から菅笠作りが発展し、全国シェアは9割以上。ただ「深江産」を打ち出すには材料も自前がいいと考え、2007年に「深江菅田保存会」を結成。菅田を復活させた。

よみがえった約70平方メートルの菅田では7月下旬、市立深江小学校の4年生が刈り取り体験をした。菅田の土地を無償提供する会社経営の石川健二さん(68)は「世代を超えた地域のまとまりに役立てばうれしい」。島谷さんは「受け継がれてきた歴史、伝統を次世代にも紡いでほしい」と話し、いずれは全て深江産のスゲで作りたい意向だ。

笠縫氏が大和のどこを拠点として、いつごろ深江にやってきたのか――。正確な起源はまだ突き止められていない。だが、いにしえから続く文化を誇りにし、郷土の宝として共有しようとする人々の思いは、ひしひしと伝わってきた。

(大阪・運動担当 常広文太)

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