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世界見据え卓球界変えた アスリートを支える(3)

軌跡

20年ほど前、四天王寺中学と四天王寺高校(ともに大阪市)卓球部監督の大嶋雅盛は悩んでいた。強くした選手が大学や実業団で伸びない。いっそ高校卒業後も自身が教えられたら、との思いが膨らんでいた。

ロンドン五輪の卓球女子団体で銀メダルを獲得した(左から)福原、平野、石川の各選手(2012年)

卒業後の4年間と合わせて面倒を見る「10年計画」で、五輪で戦える選手を育てる――。そんな野望に誰よりも賛同したのが三起商行社長の木村皓一だった。1996年12月、大嶋が支援を求めて飛び込みで訪ねると、不在の社長に代わって秘書が応対。年明けに呼ばれて再訪すると、木村は「やりましょう」。

ちょうど同社が本社のある大阪府八尾市に新たに柔道場を建てようとしていた頃。木村はできあがっていた図面を破いて「卓球もやる」。鶴の一声で急きょ設計をやり直させ、1階が柔道場、2階が卓球場の「ミキハウススポーツスタジアム」が98年に完成。大嶋がミキハウス卓球部監督を兼任することになった。

当時は実業団が団体戦を戦う日本リーグが活況で、日程が重なる海外の大会は二の次。だが、それでは五輪で戦える選手は育てられない。大嶋が相談すると、木村は「日本の試合なんかどうでもええ。五輪や」。日本リーグに加盟しないミキハウスは関係者から異端視されたが、2人とも意に介さなかった。

2012年ロンドン五輪女子団体。宮城の高校を出て入社した平野早矢香に、小学生の頃から同社が支援してきた福原愛、中学・高校で大嶋が鍛えた石川佳純を擁した日本は史上初の銀メダルを獲得。選手の目を海外に向けさせた「木村・大嶋コンビ」の先見性が快挙につながった。

今や海外のツアーを回るのは当たり前で「日本の卓球界を木村社長が変えた」と大嶋。本業の子供服販売と同じように世界を見据える目が、卓球界変革の礎となった。(敬称略)

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