子の成長願う関西流儀 由来は?(謎解きクルーズ)
晴れ着に祝儀袋・乳児の額に文字… 貴族・商人文化の薫り

2014/11/8 6:30
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先月生まれたばかりの我が子を連れ、大阪市内の神社にお宮参りに出かけた。境内のあちこちに同じような家族連れの姿。親に抱かれた赤ちゃんをのぞき込むと、額に朱で「大」「小」の文字が書いてある。関西に昔から伝わる慣習という。子供が無事に成長するよう願う行事やしきたりは地域ごとに様々だが、関西にはどのような特徴があるのか調べてみた。

10月、大安の日曜日。大阪市住吉区にある住吉大社にお宮参りに訪れた同区の会社員、矢野哲規さん(36)が抱く生後3カ月の佑真くんの額にも、朱色で「大」の文字が鮮やかに書かれていた。「大きく育つようにという願いを込めて、母親の口紅で書きました」と哲規さんが笑顔で話してくれた。

関西ではお宮参りの際、男の子は「大」、女の子は「小」と額に書く。住吉大社によると「お宮参りに来る乳児の3割ほどが書いています」という。

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額に「大」の文字が書かれた男の子(大阪市住吉区)

額に「大」の文字が書かれた男の子(大阪市住吉区)

民俗信仰に詳しい三重大学の武笠俊一教授に由来を聞くと「もともと鍋に付いたすすで乳幼児の額に『×』と書く、悪霊よけのまじないだったとされます」と教えてくれた。×は神の加護を受けていると示す印だったという。

起源は古く、平安時代に宮中で流行したことが貴族の日記に登場する。室町時代以降、一般庶民の間に広がって次第に元の意味が忘れられ、書く文字も「+」「犬」、そして「大」「小」に変化したとみられる。

「関西では子供の成長を願う慣習にも貴族や商人の文化に由来するケースが多い。東京などにみられる江戸以降の武家文化の影が薄いのが特徴です」。伝統や慣習に詳しい仏教大学の八木透教授はこう指摘する。

「例えば江戸時代、武家の慣習として浸透した七五三は関西では近年まであまりみられませんでした」と八木教授。代わりに京都を中心に盛んなのが、13歳になった時、虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)を本尊とする寺に参拝する「十三参り」だ。

平安時代、清和天皇が13歳の時に法輪寺(京都市)に勅願したのに倣って貴族の間で流行。「江戸時代に町衆にも伝わり、『知恵を授かる』として大阪や奈良など畿内一円へ広がりました」(法輪寺の藤本高仝住職)という。

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祝儀袋に穴を開けて水引を通した「紐銭」(大阪市住吉区)

祝儀袋に穴を開けて水引を通した「紐銭」(大阪市住吉区)

商人文化の影響が色濃いのが、大阪に伝わる「紐銭(ひもせん)」だ。お宮参りの際、近所の人や親戚らからもらった祝儀袋を水引でくくって乳児の晴れ着に結ぶ。江戸後期から流行した慣習とされている。

大阪文化に詳しい大阪民俗学研究会の田野登代表は「一生お金に困らないようにと願う慣習です。人付き合いを大切にする商人らが、お祝儀をくれた人との縁を強めたいという意味もあったのでは」と推測する。

姫路市や高砂市など兵庫県南部では「初七夕」の風習が伝わる。乳児が初めて七夕を迎える際、紙製の着物を庭先のササに飾る。「着るものに一生不自由しないように、との祈りが込められています」。日本玩具博物館(兵庫県姫路市)の尾崎織女学芸員はこう説明する。

機織りなどの技芸の上達を願う宮中の行事「乞巧奠(きっこうてん)」が変化したものと考えられている。「この地域はかつて生野銀山で栄え、沿岸では塩田が盛んで、都市部から移り住んだ役人らが慣習を伝えたのでは」と尾崎さんは推察する。

紙製の着物をササにつるす兵庫県南部の「初七夕」=日本玩具博物館提供

紙製の着物をササにつるす兵庫県南部の「初七夕」=日本玩具博物館提供

地域の名産品に関わるしきたりもある。一例が、生後100日後を祝う「お食い初め」で、ゆでたタコを吸わせる慣習。かみ切りにくいタコを吸わせて歯が丈夫に育つよう願い、京都を中心に関西各地にみられる。大阪湾や明石名産のタコが入手しやすかった関西ならではだろう。

全国各地をみると、関西から広がった慣習も多い。「十三参り」は福島県や山形県でも盛んだが、京都の絹織物と福島の綿織物を取引する商人によって伝わったとされる。虚空蔵菩薩信仰に詳しい元大阪市立高校教諭の中村雅俊さんは「江戸時代後期に米沢の商人が、西陣織の技術者を京都から招いた伝承がある」と指摘する。

我が子の成長を祈る親の気持ちはいつの時代も強い。こうした慣習は今後も受け継がれていくだろう。(大阪社会部 大西康平)

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