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遺産の継承と更新を 米朝亡き後の上方落語

(更新)

戦後、漫才に押されて絶滅寸前だった上方落語を復興した立役者、桂米朝が去った。巨星亡き後、上方落語界はその遺産をどのように継承し、生かしていくべきか。大きな足跡を振り返るとともに、今後の展望を落語作家の小佐田定雄氏に寄稿してもらった。

落語作家の小佐田定雄氏

桂米朝は上方落語を復活させるために神様から遣わされた……と書いたことがある。表現者としてだけでなく、演出家として、作家として、研究家として、教育者として、粋人として、いずれの分野でも超一流のセンスを持っていたお人が、ほかの華やかな世界ではなく、よりによって絶滅の危機に瀕(ひん)していた上方落語の世界に身を投じたのである。これを神の意志と思わないでおられようか。

桂米朝の遺産をどう引き継ぐか

もし、米朝が古くから伝わったままの型を伝えるだけの人であったなら、上方落語は本当に滅んでいたか、生き残っても関西地域限定のローカルな芸能に留まっていたかもしれない。米朝は先人たちから受け継いだ噺(はなし)に現代人の視点からチェックを入れ、多くの人の共感を得られる作品に仕立て直して上方落語の面白さを再認識させた。その一方で、スタートしたばかりの民間放送や出版物などのメディアを駆使して、全国の人たちに知らせることに成功した。

米朝は上方落語を「復活」させただけではなく、古い型を護(まも)りながらも、時代にあった最新の芸能として「創造」したのではないか。新しい上方落語の魅力に引きつけられたのが学生たち。落語を全く知らなかった若い学生層を、米朝はみごとに教育して上質な落語ファンに育てあげた。中には育ちすぎて落語家になった者も多いし、かく申す私などは落語作家になってしまった。

米朝の十八番だった「地獄八景亡者戯」を熱演する桂吉弥

そんな米朝のことを「神様から遣わされたのではなく、この人こそが神様ではないか」と気が付いたのは、米朝が落語を高座で演じなくなってからのこと。「よもやま話」と題して、桂ざこばや南光、米団治などを相手にしゃべっている表情は、菊造りの職人が、みごとに育てあげた菊畑の真ん中で穏やかに笑みをもらしているようだった。

その上方落語の神が、すべての仕事を成し遂げて、あとを後継者に託して旅立ってしまった。米朝は新しい上方落語の種を蒔(ま)き、発芽させることに成功した。その影響力は一門だけにとどまらず、上方落語界全体に広がり、芽はいろんなパターンに育って、桂枝雀や笑福亭仁鶴、桂ざこば、六代桂文枝という現在の重鎮たちが色とりどりの花を咲かせた。そして、そのバトンは桂文珍、桂南光、笑福亭鶴瓶たちの世代に確実に手渡されることになり、さらに若い世代には芸歴20年を迎えた桂吉弥、桂かい枝をはじめとする多くの才能が控えている。

米朝の高座は映像、録音、活字で記録されている。これをお手本にして「古典」として後世に伝えていく作業も必要だが、若かりしころの米朝が行ったように、「古典」に検討を加えて、時代に合わせてリフレッシュし続ける努力も必要となる。

米朝が落語家の道を歩み出した時代とちがい、今の上方落語には天満天神繁昌亭という「城」がある。この城に安住するだけではなく、ここを修業の場として、その成果をよりメジャーな場で披露して、落語の魅力をさらに広めることが大事なことだと思う。それが、ほぼゼロの状態から現在の状態まで上方落語をよみがえらせた米朝をはじめとする先人に対しての、なによりの恩返しになるわけだ。神去りし後になすべきことは何か……を落語家とその周囲に居る我々も、考える時期がきた。

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