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奈良・十津川村 なぜ「東京弁」(謎解きクルーズ)

険しい峡谷 関西弁阻む

新潟県出身の記者が何気なく方言関係の雑学本を読んでいたら、「奈良県十津川村で東京弁が話されている」という記述に目が留まった。関西弁は近畿であまねく使われていると思っていたからビックリ。なぜそうなったのか。興味をかき立てられ、奈良の最奥部に向かった。

JR五条駅(奈良県五條市)を降り、奈良交通の路線バスに乗る。近鉄大和八木駅(同橿原市)とJR新宮駅(和歌山県新宮市)を6時間半かけて結ぶ全長166.9キロメートル、高速道路を使わない路線では日本一の長距離バスだ。峡谷沿いの断崖に張り付いた国道168号を縫うように走る。乗用車がすれ違うのもやっとの狭い場所も多い。

2時間ほどで十津川村の観光名所「谷瀬の吊(つ)り橋」に着いた。雄大な渓谷にかかる高さ54メートル、長さ297メートルと日本でも有数の長い鉄線つり橋だ。住民の生活道路として使われている。土産物店でちらしずしを買う。「300円です。ありがとうございます」。店員さんの言葉に関西弁のイントネーションは感じられない。

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村の教育委員で、郷土史に詳しい松実豊繁さんに話を聞く。「十津川村の人は東京式アクセントで話すので、周囲とは言葉の特徴が異なる言語島の一つと言われている」と教えてくれた。

関西弁の京阪式アクセントと標準語の東京式アクセントの違いでよく知られるのが、橋と箸だ。京阪式の橋は一音節を高く、二音節を低く発音。箸は一音節を低く、二音節を高く発音する。東京式は正反対になり、橋は低高、箸は高低のアクセントになる。

十津川村の人と話すと語彙は関西弁と同じ場合もあるが、東西で共通する言葉のアクセントは標準語と変わらない。そのため東京の人と話しているような感じがする。もっとも、松実さんによると、蛇を「ぐちなわ」と呼んだり、語尾に「~ね」の意味で「のら」を付けるなど、「関西弁とも東京弁とも違う独自の方言が少なくない」という。

富山大学の中井精一教授(日本語学)によると「奈良県北部は京都、大阪に近く、中世以降、交流も活発だった。一方、十津川村など南吉野は険しい山間地で往来は不便。そのため、独自の言語体系が発展した」という。

 古代から、十津川村は独自の歴史を歩んできた。672年、大海人皇子(おおあまのみこ、後の天武天皇)が大友皇子(おおとものみこ)の軍勢を破った壬申(じんしん)の乱では、十津川郷士と呼ばれた集団が出兵。戦功をあげて公租を免れる免租地となり、それは明治維新の地租改正まで1200年も続いたという。地勢と、藩に頼らない自治権が長く認められたことが自主独立の精神、独自の言語を育んだのだろう。

方言分布では、民俗学者の柳田国男が唱えた「方言周圏論」が知られる。都を中心に方言が同心円状に分布しているという説だ。松本清張の推理小説「砂の器」で、島根県出雲地方に東北弁に似た方言が存在し、事件解決の重要な鍵となり有名になった。

奈良出身の中井教授は「近畿でも日本海側には東京式アクセントの地域がある」と指摘。その上で、「十津川村は直線では都からそれほど遠くないが、険しい地形を考えると実質的な距離は遠い。そう考えれば周圏論が当てはまる」とみる。

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十津川村が京阪式アクセントではない背景は見えてきたが、なぜ東京式なのか。考えを巡らせていると、松実さんが「あくまで仮説」と前置きして話し始めた。「南北朝から室町時代、都で多くの戦があった。足利尊氏と戦った新田義貞軍など関東武士も多く、南へ南へと逃れた落ち武者が十津川村にたどり着き、関東の言葉を広めた」

十津川村には落ち武者の伝承や痕跡が数多い。源義経が逃れたという説や、平維盛の墓とされるほこらが存在。「楠木正成の孫に当たる楠正勝、織田信長に仕えた佐久間信盛の墓所がある」(村観光振興課)。幕末には天誅組の変に加わった十津川郷士に象徴されるように、代々剣道が盛んな土地柄。武骨な関東武士の気質が受け継がれたと想像することもできる。

深い緑と谷に囲まれた十津川村は独自の言葉を守り、壮大な時のロマンが流れる土地だった。心を弾ませ帰りのバスに乗り込んだ。

(大阪・文化担当 多田明)

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