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住所の番地 なぜ「渡辺」?(とことんサーチ)

「渡しの辺り」古い地名に由来 全国の「渡辺さん」のルーツ

大阪市中心部の街角でふと目にした街区表示板に目を疑った。数字で表すのが当然の番地の欄に「渡辺」とある。渡辺といえば日本で数多い名字の一つだが、なぜそれが番地に使われているのか。何とも不思議な番地の謎について探ってみた。

問題の表示板は地下鉄本町駅のほど近く、大阪市中央区久太郎町4丁目にあった。青い縦長の表示板の一番下に、確かに「渡辺」と記されている。付近を歩いてみると、同じ久太郎町4丁目の番地「1」や「2」の表示板も見つかった。

中央区役所に問い合わせると、「確かに久太郎町4丁目には1、2、3番地のほか『渡辺』という番地があります」。1989年に東区と南区が合併して中央区となった際、この番地が生まれたという。いったいその時、何があったのか。詳しく聞こうとすると「坐摩(いかすり)神社に問い合わせるといいですよ」と教えてくれた。

そういえば「渡辺」の表示板があった場所は神社だった。再度、現地へ。坐摩神社は大阪でも有数の古い歴史を持ち、地元では「ざまさん」の愛称で親しまれる。対応してくれた宮司さんに名刺を頂戴し、ぴんときた。「渡辺紘一」さんとある。渡辺さんはにこりとして言う。「お察しの通り、この番地は私の名字に由来しています」

実は89年まで、坐摩神社のほぼ境内だけで東区の渡辺町を形成していた。ところが中央区の誕生に伴い、渡辺町は周辺の地区と統合され「久太郎町」となることに。渡辺町の名は消滅するはずだったが、それに待ったをかけたのが渡辺さんの父親の先代宮司だった。市議会など多方面に働きかけ、苦肉の策として番地として渡辺の名が残ることになったのだという。

渡辺の番地に位置する坐摩神社(大阪市中央区)

市町村と同様、区の合併でも多くの地名が消えるのが常のはず。なぜ「渡辺」に特例が認められたのか。「この神社が全国の渡辺姓の発祥の地という特別な事情を考慮してもらいました」と渡辺さん。全国の渡辺姓の人たちでつくる組織「全国渡辺会」の応援もあったという。

大阪の歴史に詳しい大阪城天守閣の学芸員、宮本裕次さんに聞くと「渡辺とは本来、現在の中央区の天満橋付近の地名でした」という意外な説明。渡辺とは「渡しの辺り」を意味し、旧淀川に臨む天満橋の船着き場を指し、平安期にこの地に定住した人たちが「渡辺」を名乗るようになったという。中でも有名なのが嵯峨源氏の子孫、渡辺綱。大江山の酒呑童子の退治伝説で知られる平安期の武将、源頼光に仕えた四天王の筆頭格として知られる。

坐摩神社の渡辺さんも「私の祖先も平安期までに渡辺姓を名乗り、宮司を代々務めてきました」と言っていた。坐摩神社は豊臣秀吉が大坂城を築く際、現在の場所に移り、地名も付いてきた。長い年月の中で、渡辺姓の人々は全国に散っていったのだという。

だが、一般的に名字は複数のルーツを持つことが多いはず。これについて「全国名字大辞典」などの著書を持つ姓氏研究家の森岡浩さんは言う。「渡辺は1カ所の地名から全国に広がった珍しい名字です」。その理由として、渡辺氏が嵯峨天皇の子孫である嵯峨源氏の名門であることや、渡辺一族が優れた操船技術を持っていたことなどから、長く特別扱いされてきたことが考えられるという。

全国の渡辺さんにとって、坐摩神社こそが重要なルーツ。長い歴史の荒波を乗り越え、受け継がれた「渡辺」は、大阪が全国に誇るべき番地と言えるだろう。

(大阪・文化担当 田村広済)

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