2019年2月22日(金)

大阪地盤の師匠に憧れて 歌舞伎俳優・片岡愛之助氏(私のかんさい)
経済と文化 一緒に回そう

2016/10/13 6:00
保存
共有
印刷
その他

 ■舞台やテレビ、映画と縦横に活躍する歌舞伎俳優、片岡愛之助さん(44)。実家は堺市で船のスクリューを作る工場だった。車の出入りが激しく外で遊べず、かわいそうだと両親が松竹芸能の児童劇団に入団させたのが縁で9歳の時、歌舞伎の世界に飛び込む。

かたおか・あいのすけ 1972年堺市生まれ。片岡秀太郎の誘いで子役から一門の部屋子に。テレビドラマ「半沢直樹」の検査官や「真田丸」の大谷吉継役などで人気沸騰中。2016年女優の藤原紀香さんと結婚。

かたおか・あいのすけ 1972年堺市生まれ。片岡秀太郎の誘いで子役から一門の部屋子に。テレビドラマ「半沢直樹」の検査官や「真田丸」の大谷吉継役などで人気沸騰中。2016年女優の藤原紀香さんと結婚。

僕は劇団に所属し歌舞伎公演で子役を勤めた際、片岡秀太郎に声をかけられて十三代目片岡仁左衛門の一門、松嶋屋に入ることになった。仁左衛門の本名の千代之助から名をもらい、片岡千代丸として1981年に京都で「勧進帳」の太刀持としてスタートした。

上方歌舞伎は60年代に衰退し年1、2回しか公演がない時期もあった。62年に十三代目仁左衛門が私財をなげうって自主公演「仁左衛門歌舞伎」を開いたことなどで徐々に盛り返した。

僕が入ったのはその途中。十二代目市川団十郎(当時は海老蔵)をはじめ大スターが出ても、2階席はがらがらで1階にも空席がちらほら。土日にようやく「今日はすごく入ってるな」と、そういう時代だった。

 ■19歳の時、秀太郎の養子となり六代目愛之助を襲名。秀太郎からは「上方は公演が少なく、十分修業ができない」と東京へ拠点を移すよう勧められた。

僕はきっぱり断った。僕が入った学校は十三代目仁左衛門学校であり秀太郎学校。階段を一歩一歩、歩みは早くなかったかもしれないが、着実に上っていけた。不遇とは感じなかった。

師匠の背中を見て育ったから上方歌舞伎を愛するのは当然。関西に居を構えて役者をする点でも2人に憧れや魅力を感じていた。大阪で、上方で役者がやりたい、と言った。江戸歌舞伎も大好きだけれど、大阪の人間だから大阪弁を話せることが一番の強み。演じる楽しみにもなっている。

上方歌舞伎には「つっころばし」と呼ばれる弱々しく滑稽味のある独特の男役など、懐の深さを求められる役回りがある。お客さんも西ほど熱い。大きな声でざわついて、お茶の間でテレビを見ているような感覚で楽しんでくれている。

 ■今も活動の拠点は関西。近畿最古の芝居小屋、永楽館(兵庫県豊岡市)で2008年から始まった「永楽館歌舞伎」で座頭を務め、11月4~10日の公演では一門の片岡千寿、千次郎と共演する。

片岡千代丸としての初舞台は「勧進帳」の太刀持だった(1981年12月、京都南座の楽屋)

片岡千代丸としての初舞台は「勧進帳」の太刀持だった(1981年12月、京都南座の楽屋)

関西で座頭公演ができ、うれしい。亡き両親に見せてあげたかった。2人とも一回も見ずに亡くなってしまった。千寿、千次郎は松竹が97年に創設し、秀太郎が講師を務めた俳優養成事業「上方歌舞伎塾」の1期生。義父の指導を僕もそばで見て学んだから、2人は同期生だと思っている。

歌舞伎はもともと京都、上方で生まれた。江戸時代には道頓堀に芝居小屋が五座も並んでいた。ところが今は歌舞伎といえば東京の歌舞伎座だと思われ、大阪では「えっ、上方歌舞伎ってあるんですか」という人が多い。寂しい話だ。

先輩たちが頑張って状況は良くなっている。今月は南座、来月は大阪松竹座というふうに関西で毎月歌舞伎がかかるのが僕の夢。関西の人たちは意識して劇場に足を運んで、それぞれの口から役者の名前が出るような町になってほしい。

自分は関西にいたからこそ、松嶋屋に入れてもらえた。関西には昔から、名門の出かどうかにこだわらない文化がある。僕と同じ若い世代の方にも伝統芸能を見に来てもらい、一緒に育っていく方程式を作らないと、じり貧になってしまう。経済と文化は一緒に回ってこそ成立する。文化が発展していない地域は経済も回らないのでは。

(聞き手は大阪・文化担当 小国由美子)

保存
共有
印刷
その他

関連企業・業界 日経会社情報DIGITAL

電子版トップ



[PR]

日本経済新聞社の関連サイト

日経IDの関連サイト

日本経済新聞 関連情報