祖父目標、全力疾走の語り 文楽太夫 豊竹英太夫さん
来年4月に六代目呂太夫を襲名 70歳を区切りにスパート

2016/11/27 6:00
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人形浄瑠璃文楽太夫の豊竹英太夫(はなふさだゆう)が来年4月、六代目豊竹呂太夫(ろだゆう)を襲名する。明治初期から続く呂太夫の名跡が復活するのは17年ぶり。豪快な語り口で知られた祖父、十代目若太夫(1888~1967年)の前名にも当たり、「祖父の『命がけの浄瑠璃』のともしびを絶やさないよう語っていきたい」と意欲を燃やす。

六代目呂太夫を襲名する豊竹英太夫さん

六代目呂太夫を襲名する豊竹英太夫さん

襲名披露公演が行われる来年4月16日には古希を迎える。ちょうど1967年に竹本春子太夫に入門してから50年になる節目の年。「70歳を一区切りにスパートしたいと考えていた」と円熟の季節を待ち焦がれる。

かつての名人には50~60歳代で大成していた人が少なくない。しかし「今の時代は(全盛期が)15年くらい遅くなっている」と指摘する。「この1~2年で義太夫節を語るとはこういうことだということが分かってきた」と手応えを感じている。

2014年5月に竹本住太夫が現役を引退して以来、竹本源太夫、豊竹嶋太夫と人間国宝のベテランが相次いで現役を退いた。英太夫ら次世代に当たる太夫が重要な場面を任される機会が増えている。「初役も多く、毎回薄氷を踏む思いでやってきた。ギリギリまで追い込まれて見えてきたものがある」と明かす。

例えば、15年7月の文楽素浄瑠璃の会で語った「嫗山姥(こもちやまんば)」や同10~11月の「碁太平記白石噺(ばなし)」。稽古を重ねるうち「それまで苦手と思っていた女性の発声が苦痛でなくなってきた」。様々な登場人物を1人で語る文楽の太夫にとって、老若男女を細やかに語り分ける技術は欠かせない。

呂太夫襲名を機に「そろそろ個性を出していきたい」と新境地への意欲をのぞかせる。大きな目標は豊かな声量で豪快に語る様子から「命がけの浄瑠璃」とたたえられた祖父だ。11月の公演では十代目若太夫が得意とした演目「花上野誉碑(はなのうえのほまれのいしぶみ)」の「志渡寺(しどうじ)の段」を勤めた。

口がきけない坊太郎のため、乳母のお辻が身命を賭して金毘羅権現に祈る場面が聞かせどころ。若太夫が演じたテープを何度も聞き「祖父を意識して語った」といい、全身全霊を傾けるような姿勢が印象的だった。

現在の太夫の主流は、近代屈指の名人と呼ばれた豊竹山城少掾(やましろのしょうじょう)(1878~1967年)が確立した理知的で細やかな語り。住太夫や、現役唯一の山場を担う「切場(きりば)語り」の豊竹咲太夫らも山城少掾の弟子で、薫陶を受けている。

一方、若太夫は時に音程を外したり、瀕死(ひんし)の登場人物を叫ぶように語ったりと型破りの芸風だった。山城少掾とは対照的だ。若太夫の弟子で、流れを受け継いだ嶋太夫は今年2月に現役を引退した。

英太夫もベースは山城系の端正な語り口にある。しかし、呂太夫襲名を前に、現在の文楽界では希少となった祖父の豪胆な持ち味に改めて目を向ける。「最初から全力疾走のようだった祖父の語りに1%でも近づけるよう頑張りたい」と意気込む。

文楽の世界に入ると決めたのは、祖父の通夜の席で五代目呂太夫に勧められたのがきっかけだった。祖父の存命中は太夫になるつもりはなく、直接指導を受けた経験もない。だが「祖父の血筋を受け継いでいるので、声帯やのどが似ているはず。祖父の語り口は自分にも合うのでは」と自負する。

襲名は昨年12月、住太夫から持ちかけられたという。「えっと思ったが、流れに乗ろうと思った」と振り返る。「呂太夫は祖父も大事にしていた名前。この名を継ぐことが自分の道だと、身が引き締まる思い」。大きな決意を胸に秘めながら新春を迎える。

(大阪・文化担当 小国由美子)

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