上方歌舞伎の若手集結 研さん積む晴れ舞台

2015/8/23 6:00
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歌舞伎の家の出身ではないが、上方歌舞伎で活躍する若手俳優が集まる「上方歌舞伎会」が22、23日、国立文楽劇場(大阪市)で開かれる。日ごろは補助的な役で研さんを積む若手にとって重鎮から指導を受け、大役を演じる貴重な機会だ。将来の上方歌舞伎を占う意味でも注目される。

上方歌舞伎会の稽古で「双蝶々曲輪日記」の指導をする片岡秀太郎(中)(大阪市中央区)

上方歌舞伎会の稽古で「双蝶々曲輪日記」の指導をする片岡秀太郎(中)(大阪市中央区)

16日、国立文楽劇場小ホールで、初日の立ち稽古(動作や表情を付けながらの稽古)が行われた。

観客席には、指導のため片岡秀太郎と仁左衛門兄弟、中村鴈治郎ら現在の上方歌舞伎をけん引する重鎮たちが顔をそろえた。今年の出演者は18人で30代が中心。最年少は初参加14歳の中村未輝だ。「おはようございます」のあいさつ後、稽古が始まった。

25回目の今年は世話物の名作「双蝶々曲輪日記(ふたつちょうちょうくるわにっき)」に挑む。秀太郎らは若手俳優の一挙手一投足を注視。「セリフが上滑りになってる。もっと気持ちを込めて」「二枚目役なんだから、額にしわを寄せたらアカン」などと注文を付けていく。

若手に語り方などの指導をする片岡仁左衛門(大阪市中央区)

若手に語り方などの指導をする片岡仁左衛門(大阪市中央区)

稽古は5時間に及んだ。途中で15分の休憩を2回挟んだが、休憩中もセリフの抑揚や所作を指導する熱の入れようだった。

上方歌舞伎会は1990年、文楽劇場の事業として始まった。前身は上方の若手だった上村吉弥(かみむら・きちや)らが10年続けた勉強会「若鮎(わかあゆ)の会」。その後名称変更し、メンバーを拡大した。松竹が97年から2003年まで、上方の芸の伝承を目的として一般公募で開いた「上方歌舞伎塾」の卒塾者を迎えるなどして、現メンバーは約20人という。

演目と配役は毎年、出演者の希望をもとに、秀太郎らが各俳優の持ち味を考えて決める。「双蝶々曲輪日記」は主な舞台が大坂と京都・八幡。人形浄瑠璃として書かれ、歌舞伎に移された演目だ。

男気をみせて張り合う2人の相撲取りや、実子と義理の子供の間で心揺れる年老いた母親が描かれ、見どころは多い。見せ場だけを演じるのではなく、「お客さんも物語を深く理解できるし、演者側も勉強になる」との考えから、前後の幕を付ける「半通し」にした。

秀太郎は「若鮎の会」のころから指導役を引き受けてきた。多忙な中、指導に時間を割くのは「上方の芸をきちんと身に付けた俳優が一人でも多く育ってほしい」からという。仁左衛門は「稽古で必ず上達してくれるから楽しさがある。それに主役を一度勤めると、脇役に回っても以前とは違ってくる」と会の意義を挙げる。

一方、教えを受ける片岡千壽(せんじゅ)は「芸を自分のものにするため、必死にくらいついていくだけ」。坂東竹之助は「見るとやるとではやっぱり大違い。チャンスを頂けてありがたい」と感謝する。

上方歌舞伎会は1年だけ中断したが、8月恒例の催しとしてすっかり定着した。2日間計4公演で、昨年は2500人を超える観客を集めた。

指導者らの願いは、大役に挑んだ若手が飛躍すること。その期待に応え、めきめきと頭角をあらわしてきたメンバーもいる。千壽、片岡松十郎、片岡千次郎の3人は今年から、近鉄アート館(大阪市)で「晴(そら)の会」と銘打って独自の公演を始めた。

「晴の会」も監修の立場で指導に当たる秀太郎は「彼らに続いて『晴の会』の舞台に立てる俳優が、どんどん出てきてほしい」と期待を込める。

(編集委員 小橋弘之)

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