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小説200冊、若手も育成 藤沢桓夫と大阪文学(1)
軌跡

2016/5/24 6:00
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昭和の大阪文学をたどろうとするならば、作家の藤沢桓夫(たけお、1904~89年)を軸に据えるのがふさわしい。1920年代から80年代まで健筆を振るい、大阪を舞台にした大衆小説などを200冊以上残している。

織田作之助の句碑除幕式での藤沢桓夫(右端)(C)大阪文学振興会

織田作之助の句碑除幕式での藤沢桓夫(右端)(C)大阪文学振興会

漫才作家で友人の秋田実をモデルにした「花粉」など映画化された作品は17に及ぶ。昨春、藤沢が書斎「西華(せいか)山房」を構えていた大阪・住吉に、彼の初めての顕彰碑が建てられたが、もっと語られてよい人物だ。

藤沢は大阪・船場に生まれ、島之内で育った。祖父の南岳は大阪の漢学塾「泊園書院」の院主で、新世界の「通天閣」の名付け親でもある。父の黄坡(こうは)は塾の院主を継ぐとともに、関西大学専門部の教授に就いた。

藤沢は幼い頃から文学好きで、旧制大阪高校に入学した前後には作家として身を立てたいと考えていたという。同校で後に英文学者となる小野勇らと同人誌「龍舫(りゅうほう)」を発行。さらに同人を増やして「傾斜市街」を創刊した。現在では伝説的に語られる同人誌「辻馬車」で、横光利一や川端康成らに着目された。

藤沢が携わった同人誌(C)大阪文学振興会

藤沢が携わった同人誌(C)大阪文学振興会

「辻馬車」は足かけ3年続き、32号で終刊する。藤沢は東京大学に進学。旧制中学時代からの友人で、後に「釜ケ崎」などの作品を残す武田麟太郎らと同人誌「大学左派」を創刊。プロレタリア文学系の作品を発表した。

東大在学中に肺病を患い、3年間の療養生活の後、33年に帰阪する。この間、横光に紹介してもらった菊池寛の口利きで、夕刊大阪新聞に初の新聞小説「街の灯(ひ)」を執筆した。

帰阪後は住吉を拠点に活動し、42年に東洋学者の叔父、石浜純太郎を題材にした「新雪」を発表。司馬遼太郎はこの小説を読んで、東洋言語学者に憧れ、大阪外国語学校(現大阪大学)のモンゴル語の学科を志したという。

若い作家の面倒もよくみた。文才を買った織田作之助が47年に東京で客死した時は葬儀委員長を務め、法善寺横丁に句碑を建てるのにも尽力した。83年に大阪文学振興会が現在の「織田作之助文学賞」を創設した際は、藤沢の鶴の一声で賞の名前が決まった。

司馬が57年、藤沢の従兄弟(いとこ)の石浜恒夫らと文芸誌「近代説話」を創刊した際も支援している。大阪文学振興会の高橋俊郎・総務委員は「藤沢さん自身が菊池寛らに世話されて世に出ただけに、自然と若手の面倒をみる気持ちになったのでしょう」と話す。

編集委員 小橋弘之が担当します。

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