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短歌や唄 一世を風靡 祇園と文学(1)
軌跡

2017/8/21 17:00
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京都の花街の祇園は、多くの文化人に愛されてきた。明治末以降をみても、夏目漱石・高浜虚子・谷崎潤一郎・瀬戸内寂聴らが祇園に足を運び、そこで見聞きしたことや出会った人々をモデルにした小説や随想を記している。中でも、吉井勇と長田幹彦が詠んだ短歌や唄は一世を風靡し、世間の目を祇園に向けた。

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観光客らでにぎわう祇園の花見小路通(京都市東山区)

観光客らでにぎわう祇園の花見小路通(京都市東山区)

吉井は祇園を題材にした歌を数多く残したが、一番人の口に上るのは「かにかくに祇園はこひし寝(ぬ)るときも 枕の下を水のながるる」だろう。この歌は1910年の作とされる。同年春、吉井は東京を後にして京都を旅行。祇園を流れる白川べりにあったお茶屋「大友」で遊び、この茶屋での情景を詠んだという。

大友の女将・磯田多佳は文芸に精通していることで知られた。漱石も15年春、京都を訪れた際に大友に足を運んでいる。多佳と意気投合し、北野天満宮に梅を見に行く約束をしたが、多佳の事情で企画倒れに終わりいたく失望。「春の川を隔てて男女哉(かな)」の句を詠んだとされる。

吉井はその後、歌人として名を高めたが、私生活上の問題などから高知県内に一時隠棲(いんせい)。38年に京都市内に移り住み、同市近隣の八幡市で暮らした時期を除き、亡くなる60年まで京都に住み続けた。

吉井は50年から没年まで、祇園甲部の芸舞妓(まいこ)による舞踊公演「都をどり」の歌詞を手掛けた。祇園の関係者は吉井に恩を感じ、彼が健在だった55年、ゆかりの大友の跡地に「かにかくに」の歌の文字を彫り込んだ碑を建立。以後、毎年11月8日に「かにかくに祭」を開き、吉井をしのんでいる。

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長田は吉井の1、2年後、京都を初めて訪れ、彼も祇園に魅了されて「祇園夜話」「絵日傘」などの小説を書いた。その小説が映画化されるにあたり、主題歌を頼まれて筆を執ったのが、30年に世に出た「祇園小唄」。「月はおぼろに東山(中略)祇園恋しや だらりの帯よ」と歌った曲は大ヒット。この小唄に京舞井上流の先代家元、井上八千代が振り付け。祇園甲部の舞妓らによる舞は現在も人気演目になっている。

(敬称略)

編集委員 小橋弘之が担当します。

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