2019年5月23日(木)

1200年を見渡す舞台 将軍塚青龍殿(未来への百景)
京都・東山

2014/9/23付
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京都市街を間近に見下ろす京都・東山の一角に、新たな名所が誕生する。大正時代の木造建築を核にした将軍塚青龍殿。山腹にせり出した舞台は、清水寺の舞台の約4.6倍に当たる1046平方メートルにも及ぶ。10月4日の落慶法要を前に、工事がたけなわだ。

「(拝観者が立ち入りできる)外陣(げじん)は約500人が収容できるので、法要など宗教儀礼だけでなく演奏会、講演会、レセプションなどにも使えるのでは」と語るのは、事業主体である青蓮院門跡の東伏見慈晃門主。

現場は京都四条通の延長線上、八坂神社のほぼ真東にあり、標高約216メートル。比叡山などに比べれば低いが、京都の主なランドマークは識別でき、絶景が望める。一方、鴨川沿いから見上げれば目視できる大きさ。重機やトラックが絶え間なく行き交い、工事関係者約100人が立ち回っている。

青龍殿は三段構え。本来は青蓮院門跡が所蔵する仏画、国宝「不動明王二童子像」(通称・青不動)の安置場所として造る。青不動が収まる小規模の奥殿と、護摩をたいて祈祷(きとう)する中規模の内陣。この2つを新築し、その導入部となる外陣として、1914年竣工の木造建築を移築し、再建する。

移築する木造建築「平安道場」(旧大日本武徳会京都支部武徳殿)は戦前に築かれた武道道場で、京都・北山の北野天満宮前にあった。幅約26メートル、奥行き約20メートル、高さ14.5メートル。廃棄処分が決まっていたが、文化財を惜しむ東伏見門主が引き取りと移築を提案。何とか説得しおおせた。

足かけ5年11カ月の大事業となった。経費は当初見込みの6億8000万円を大きく上回り10億円近くに達しそう。資金調達もさることながら、門主にとって一番骨の折れたのは行政への許認可交渉かもしれない。

というのも一帯は市街化調整区域、風致地区、歴史的風土特別保存地区、保安林と、さまざまな規制が張り巡らされ、少しでも抵触すると「待った」がかかるためだ。そのたびに京都府、京都市へと足を運んで談判し、粘り強く実現に持ち込んだ。

敷地内には庭園も整備する。石や樹木の移設を進めた。一般公開は10月8日から。修復を終えた青不動の特別開帳や、夜には青龍殿のライトアップも予定している。

文 編集委員 岡松卓也

写真 玉井良幸

〈取材手帳から〉将軍塚は直径約20メートル、高さ約2メートルの巨大なカップケーキ状で、現在は芝に覆われている。青蓮院はかねて麓からこの一帯までを境内としていたが、山腹のほぼ全域が公有地に塗り替えられ、戦後は飛び地境内となった。
 平安京を定めた桓武天皇が「この都の永久の安泰を祈念して、土で八尺の人形を造り、鉄(くろがね)の鎧(よろい)、甲を着せ、同じく鉄の弓矢を持たせて、東山の峰に西向きに立てて埋められた」と「平家物語」(杉本圭三郎現代語訳)は伝える。「平安京の守護神という将軍塚にちなんで、青龍殿も青不動明王が京都の安泰にお力添えくださるのではないか」と東伏見門主は期待する。

〈カメラマン余話〉山頂の建物と市街を1枚に収めようと、小型無人ヘリで「空撮」した。搭載カメラに写る画像は手元から見えないので、勘を頼りに操作する。時折強い風が吹く中、様々なアングルを試しながら飛ばし続ける。着陸後、結果にドキドキしながら画像を確認した。

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